走り幅跳びは100メートルや200メートルに代表されるスプリント競技よりも、技術の介在する余地が大きい。身体能力で劣る日本人が黒人系の選手に迫るには、技術を極限まで磨き上げるしかない。

 

<この原稿は2000年発売号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>

 

「2年前、ふとしたことがきっかけで、調子のいい状態をつくり出すコツを覚えたんです」

 

 語気をほんの少し強めて森長は言った。

 

「これまで調子のいい時は、自分の足の裏に自分の重みを感じることができた。それは調子のいい時にしか感じられないと思っていたのですが、母指球から足の付け根に重心を感じ、蹴った力が腹筋を通り、最後は眉間に抜けていく。それを意識することで、調整の段階からそうできるようになったんです」

 

 重心を感じる場所は人それぞれ異なるが、そこに神経を集中するとバランスや落ち着きが得られるということで、その重要性はあらゆる競技に共通している。

 

 かつて、100メートルを走るにあたって「重心はどこか?」という質問に朝原はこう答えた。

 

「僕は丹田に全神経を集中しています。丹田はヘソ下数センチのところにあり、そこに重心があると意識している。この位置はできるだけ小さく限定した方がいい」

 

 レース前、スプリンターが尾てい骨やお尻を押している場面に、しばしば遭遇する。そうすることで重心の輪郭を掴んでいるのだ。指導の過程でしばしば耳にする「腰を入れろ」という指摘は「重心を意識しろ」という指摘と同義であるといえよう。

 

 0.01秒という時間の単位は極限の科学の向こう側にあると同時に神秘の領域と隣合せにもなっている。身体の深部に打ち込まれた意識の針は、あるいはスプリンターとしての自らの完成度を計るという意味において羅針盤上のコンパスの役割を果たしているのかもしれない。

 

 森長の大学時代からの友人であり、かつて100メートルの日本記録保持者でもあった井上悟にも、同じような質問をぶつけたことがある。

 

 井上はこう語った。

「レース前のウォーミング・アップは絶えず重心を頭に入れて行っています。アメリカの選手たちは“ヒップアップがコツだ”と言ってましたね」

 

 話を走り幅跳びに戻そう。

 この競技にはふたつの跳び方がある。ひとつは2本の脚で空中をかくように跳ぶはさみ跳び。アメリカでは空中をかくような姿勢から「ヒッチキック」と呼ばれている。

 

 8メートル95の世界記録を持つマイク・パウエル、カール・ルイスら近年、世界のロングジャンプシーンをリードしてきた選手は、ほとんどがこのはさみ跳びだ。

 

 そして、もうひとつのスタイルが反り跳び。空中で大きく手を広げ、上体を反らし、着地の瞬間、足を大きく前方に伸ばす。技術よりも体のバネを前面に押し出したシンプルな跳び方だ。

 

 森長はかつて空中を1.5歩で跳ぶはさみ跳びと反り跳びの中間のフォームで跳んでいた。ところが、大学に入り、カール・ルイスの在籍していたヒューストン大学に練習に行き、ルイスを育てたトム・テレツコーチと出会ってフォームを改良する。それまでの1.5歩を2.5歩に改めたのだ。

 

 重要なのは踏み切りである。幅跳びの場合、足が地面から離れた時点で着地点も決まってくる。あとは踏み切りで得たエネルギーを、いかにロスすることなく体に伝えることができるか。そこが勝負の分かれ目となる。

 

「バランスも大切です。僕は左に傾きながら空中を抜けていくんですけど、バランスが悪い時は逆方向に傾いている。大きくは無理ですけど、少々なら空中でバランスをなおすこともできます。それと手も大切です。着地する時に手を後ろに引けば、自ずと足が前に出てきます。空中で足だけ上げようとしても、それは難しい。手の反動を利用しないと、遠くへは跳べないんです」

 

 91年8月、東京で行われた世界選手権でアメリカのマイク・パウエルは8メートル95の大ジャンプを披露した。幸運にも私は、そのシーンを目のあたりにすることができた。あれは「着地」ではなく「着陸」というイメージだった。

 

 8メートルの体感とは、どういうものなのだろう……。

 

「ウ~ン、不思議なもので、7メートル98とか99のジャンプと8メートルをこえるジャンプって、感覚的に全く違うんです。たった数センチしか差がないのにですよ。

 

 8メートルをこえる時は、着地の直前、空中で体がグッと伸びる感覚がある。快感といってもいいでしょう。もっといえば、ワンテンポですが、空中で物を考える時間がある。

 

 跳んでる時の記憶も鮮明です。着地前、6メートル、7メートル、8メートル……と書かれてある数字が徐々に目に入ってくるんです。“もうひと頑張りすれば、8メートルをこえる”と思うこともあります。まぁ、実際には、そこから距離を伸ばすのは難しいんですけど……

 

 人の気配だって感じますよ。さすがに顔まではわからないけど、あっ、ここにカメラマンがいる、とかね。全体の景色の中で、どこに人が集まっているかとかも、はっきりわかりますね。

 

 初めて8メートルをこえた時、“何だ、今のは!”という驚きの感覚があったんです。言葉にするのは難しいんですが、体が吹っ飛ばされそうな感覚ですね。この前、静岡の大会に出た時、この時の感覚が甦ってきました。“確か、昔こういうのあったよな……”という感覚ですね。それを体が覚えていて。

 

 だから、着地した瞬間、着地地点も見ずに“これは行ったな”ということがわかりました。これも不思議なことに、いいジャンプをした時というのは、体に全然、衝撃がないんです。あれだけ助走で思いっ切り走り、力いっぱい跳んでいるのに、体のどこにも痛みを感じることがない。カチッとはまった時って、そういうものですよ」

 

 ――その快感を体が知ってしまったら、なかなかやめられない?

 

「はい、麻薬みたいなものですね」

 

 走り幅跳びは、ある意味でものすごく物理的なスポーツということができる。全ての技術が形而下で処理されてしまう。なにしろ引力にどう抗うかから、すべての理屈はスタートしているのだ。

 

 森長は飛行機に乗り、離陸する際、シートに深々と体を預ける。足で踏んばらず、背中で重力のかかり具合を体感するのだ。

 

「背中がイスにはりつけられ、押されていくような感じでバーンと体が押し出される。あのイメージを体に覚え込ませたいんです。踏み切りに入る時にトップスピードに入るのではなく、跳び出した瞬間、もうトップスピードに入っている。そして、そのまま砂場に突っ込んでいく。これが僕の考える最高の跳躍なんです」

 

 トップアスリートは例外なく科学者であり、哲学者でもある。

 

(おわり)


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