この9月にカタール・ドーハで開催された世界陸上。男子競歩50キロで鈴木雄介(富士通)が金メダルに輝いた。スタート時の気温は30度、湿度80%という悪条件の中、積極的にレースを展開し、フィニッシュした。彼は競歩20キロの世界記録保持者である。2015年に世界記録を打ち立てた数カ月後、インタビューをした。鈴木が競歩を始めたきっかけとは? この競技の魅力や奥深さとは? 4年前の原稿で振り返る。

 

<この原稿は2015年7月号『第三文明』(第三文明社)に掲載されたものです>

 

二宮清純 3月に開催された「全日本競歩能美大会」で、世界新記録を樹立されました。男子20キロで、1時間16分36秒。1週間前にヨアン・ディニズ選手が更新したばかりの世界記録を塗り替えました。記録は最初から狙っていましたか。

鈴木雄介 自己記録の更新とアジア記録を視野に入れていました。アジア記録と世界記録を比べると30秒くらいしか違いませんから、アジア記録を狙ったペースで進めれば、おのずと世界記録を狙えるという思いを描きながらレースに臨みました。

 

二宮: どのあたりで、世界記録が出ると確信しました?

鈴木: はじめの1キロは少し遅く入ったので、これはアジア記録には届かないなと思い、ペースを上げたんです。1周目が7分44秒。それがアジア記録のペースで、2週目も、その勢いのままで行ったら、7分30秒でした。これで、“もしかしたら、このままいけそうだな”。ここでペースをあげるのではなく、少し余裕を持ち、1周歩いてみたら、7分34秒。“これいけるな”、という感覚は6キロで持ちました。10キロまで順調なペースで進めていたので、“今日は出るな”と確信しましたね。

 

二宮: 当日のコンディションも十分だったと。

鈴木: 練習もしっかり積めていましたし、調子もよかったので、“いいレースができるな”という感覚でスタートラインに立てました。風もいい吹き方をしてくれましたね。コースは海側と建物側に分かれていて、海側は追い風だった。それに本来は向かい風となるはずの建物側も、風が建物で遮られていたため、それほどアゲンストではありませんでした。気候も少し暑いくらいで、絶好のグラウンドコンディションでしたね。

 

二宮: 競歩のルールについて少し教えてください。現在オリンピックの種目になっている競歩は、男女20キロと男子50キロの3種目です。反則にはどんなものがありますか。

鈴木: 2つあります。1つは、左右どちらかの脚が目視でしっかりと地面についていなければなりません。両脚が地面から離れると、「ロス・オブ・コンタクト」という反則になります。もう1つは、前に踏み出した足が接地した瞬間から、その足が地面と垂直になるまで出した足のひざは伸びていなければなりません。これが曲がっていると「ベント・ニー」という反則をとられます。

 

二宮: 競歩はルールがわかりづらいと思われていますが、違反は、その2つとシンプルですね。レースを見ていると、ゴール後に、失格となるケースもありますね。

鈴木: たとえばトラックだと、主任を含め6人の審判員がいて、「警告」を3回出されると失格となります。一人の審判員につき、一人の選手に対しては1回しか警告を出せません。つまり三人の審判員から警告を出されるとアウトです。

 

二宮: 競技会場では、よく審判員が旗(パドル)を上げているのを見かけます。

鈴木: それは「注意」ですね。注意は何回受けても大丈夫ですが、そのままの歩型を続けていたら「警告」を受ける可能性がある。歩き方を修正しなければなりません。

 

二宮: さて、鈴木選手は、どういうきっかけで競歩を始めたのですか。

鈴木: 実は中学生の時は、陸上部の長距離部員でした。初めて参加した地区大会、出場できる種目がなかった1年生は強制で競歩にオープン参加したんです。

 

二宮: 強制参加ですか(笑)。

鈴木: はい(苦笑)。地元の石川県能美市が、競歩が盛んな地域だったこともあります。初めて出場した競歩の大会で、上位に食い込むことができた。中学2年時の地区大会では、長距離はダメでしたが、競歩のほうでは県大会へ進めたんです。そこから本格的に競歩に取り組むようになりましたね。

 

二宮: 日本ではマラソン人気が高い。競歩を選ぶことに抵抗は?

鈴木: なかったですね。本格的に取り組み始めてからは、競歩がどんどん楽しくなりました。

 

二宮: 鈴木さんは20キロを主戦場としています。これは自分の脚質に合わせて選んだのでしょうか。

鈴木: 僕が学生だったころ、「日本人は50キロでしか戦えない」と言われていたんです。ほとんどの選手が50キロで世界と勝負していました。ただ、その根拠は何もないんです。何となくみんなが言っているだけの迷信みたいなものに過ぎないのに、そうした風潮に従うのが嫌だった。“じゃあ、自分でそうではないことを証明しよう”と思って20キロで戦うことにしたんです。

 

二宮: 世界記録保持者の鈴木さんが言うことだから、説得力がありますね。ところで、3年前のロンドン五輪では、思うような結果が出せませんでした(36位)。やはり初めての五輪は難しかったですか。

鈴木: 今考えれば、当然の結果でした。前年の韓国・大邱で開催された世界選手権で八位入賞。いよいよこれからという時に、左ひざを痛めてしまい、半年ほど練習ができなかったんです。

 

二宮: そのロスは大きいですね。

鈴木: 何とか練習できるようになったのは、五輪まで、残2、3カ月しかありませんでした。内心、“間に合わないだろうな”とは思いつつも、出場する以上は表彰台を目指したかった。そのためには一か八かでメダルを獲得できるレースをしようと思って、前に飛び出していったんです。

 

二宮: それでロンドン五輪では積極果敢なレース展開だったんですね。今ある状況のなかでどうすれば最高の結果が出るか考えた末の戦法だったと。

鈴木: はい。普通に戦っては、メダルを獲れなかったと思うんです。ならば賭けに出るしかない、と。それで“もしメダルが獲れたらラッキー”という気持ちでした。当時は自らを奮い立たせるために、あえてメディアにもメダル獲得を公言していたんです。

 

二宮: 万全の状態でレースに臨めなかったのは残念ですが、今思えば、いい経験となったのでは?

鈴木: あの時、ケガを押して練習することもできました。しかし、自分の競技人生を考えた時に、ロンドンの次のリオや、その先の五輪までは目指せるという思いがあった。今の実力で無理をして悪化させるよりも、ここはしっかり治して次を目指そうと、休む決断をしました。

 

二宮: この経験を経て、変わった点はありますか?

鈴木: まずケガをしない体づくりをすることの重要性を知りました。そして、リハビリを経験したなかで、負荷をかけ過ぎないトレーニングでも体力を向上できるという発見もありました。それは大きな経験となり、今回の世界記録につながった要因だと思います。

 

(後編につづく)


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