馬の17歳は、人間なら50代前半にあたるという。

 

 

 無敗のクラシック3冠を含む中央競馬G1最多タイの7勝をあげたディープインパクトが7月30日、旅立った。

 

 7月2日に首と腰の状態が悪化したディープは28日に患部の頚椎を固定する手術を行っていた。それが原因で起立不能となり、安楽死の処置がとられたという。

 

 ディープは種牡馬としても別格だった。

<中央競馬では先週までに1241頭が延べ1万5119回出走。1941勝を挙げ産駒の獲得賞金は515億2608万7000円でともに歴代2位。昨年まで7年連続で種牡馬リーディングを獲得し、現役時代の賞金と合わせると約530億円となる。>(スポーツニッポン7月31日付)

 

 種付け料は4000万円。世界一の高額だったという。

 

 ディープと名コンビを組んだ武豊から話を聞いたのは悲報の2日後だ。

「ディープの体調が悪いのは春頃から聞いていました。もう種付けよりも、のんびり過ごして欲しいなと。僕はディープの全レースに乗せてもらった。声をかけるとすれば“お疲れさま”しかないですね」

 

 忘れられないのは2005年4月のさつき賞である。ゲートが開いた瞬間につまずき、大きくよろけた。「スワッ!? アクシデント」と青褪めた関係者も少なくなかったはずだ。

 

 しかし、このハプニングは物語の序章に過ぎなかった。後方からレースを進め、向正面で8頭をゴボウ抜きしてみせたのである。

 

 終わってみれば2着馬に2馬身半差を付ける圧勝。「走っているというより飛んでいる感じ」との武のコメントが、すべてを物語っていた。

 

 ギアがトップに切り替わると、大げさでなく他の馬が止まってみえた。さつき賞を圧勝した時点でダービー、菊花賞の結果は目に見えていた。

 

 菊花賞の単勝支持率は79・03%。払い戻しは100円の元返しである。ファンは馬券をディープと同時代に生きた証、つまり記念品と見なしていたのかもしれない。

 

 惜しむらくは2006年10月、パリのロンシャン競馬場での凱旋門賞である。最後はレイルリンク、プライドと三つ巴の争いになったが、体調を崩していたディープは「飛ぶ」ことができなかった。着順は優勝したレイルリンクにクビ+半馬身差の3着だった。

 

 武は「これまでで一番悔しいレース」に、この凱旋門賞をあげる。

「ディープは元々、体質的に強い馬ではなかった。体調は最悪。それでいて、もしかしたら勝てたのではないか、というレースをしてくれた。僕が思うに、間違いなく世界で一番強い馬でした。それを証明できなかったのが心残りです」

 

 レース後、馬体から禁止薬物であるイプラトロピウムが検出され、ディープは失格処分となった。日本の競馬界にとっては悪夢のような出来事だった。

 

 ディープの急死は全国ニュースでも報じられた。競馬の世界を超えたヒーローだった。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2019年9月1日号に掲載されたもの一部再構成しております>

 


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