4年越しの思いは実らなかった――。21日、アジアパラ競技大会4日目、陸上・女子100メートル(T44/47)が行なわれ、高桑早生は3着で、目標としていた金メダルには届かなかった。だが、決して走り自体が悪かったわけではない。それどころか、練習してきたすべてを出し切った最高のパフォーマンスを見せ、追い風3.1メートルで参考記録とはなったものの、自己ベストを大きく上回る13秒38という好記録をたたき出している。だが、彼女が最も欲しかったのは4年前に逃した金メダルだった。
「すごく悔しいです……」
 レース後、高桑はそう言って、しばらくは言葉を続けることができなかった。金メダルへの思いは相当なものだった。
「(銀メダルだった前回大会から)4年間、ずっと思い続けてきました。それをこの1本にぶつけて金メダルというかたちにしたかったんです」
 彼女が流した悔し涙には、複雑な理由があった。

 今大会、高桑は周囲にいつもとは違う様子を見せていた。レース当日、競技場に向かうバスの中で遭遇した母親に訊くと、「いつもはレースを楽しんでくるね、という感じなのに、今回は珍しく『不安』という言葉を口にしていた」という。さらに、高桑を指導する高野大樹コーチにはレース前日、思いが綴られたメールが届いたという。「彼女の方からそういうメールが来ることは本当に珍しいこと」だった。そして、そのメールにもやはり「不安」という言葉が記されていた。

 しかし、不安と同時に高桑には自信もあった。身体的には最高の状態だと感じていたからだ。それは高野コーチも同じだった。レース直前、高桑のアップを見て、高野コーチの自信は確信へと変わっていた。
「アップを見ていて、『今日が今シーズンで一番いい状態だな』と感じました。うまくピークを合わせられたなと」
 この3年半、高野コーチが指導してきたことが成熟された姿がそこにはあった。
「身体と気持ちがガチッとかみ合えば、今日はアジア新を出しますよ。うまくいけば、13秒6を切るかもしれない」
 高野コーチの表情と言葉には、自信が満ち溢れていた。果たして、レースは――。

 雨が降り、風も吹く中でのレースとなった。スタートラインに現れた高桑は、スタンドからの応援に両手を振って応えていた。「落ち着いて、周りが見えている」。そう感じることのできるしぐさだった。
「タカクワサキ、ジャパン」
 名前をアナウンスされると、いつも通り右手をあげ、スタンドに向かって一礼をした。この時にはすでに高桑の不安はかき消されていた。
「スタートラインに立ったら、やることは決まっている。とにかく集中して自己ベストだけを狙って走ることだけを考えていました」

 スタートの一歩目を思い切りよくいこうと、全神経をそこに傾け、高桑は号砲とともに、勢いよく飛び出した。走っている間は、周りの選手に流されることなく、これまで追求し続けてきた自分の走りをすることにだけ集中した。肩の力が抜けたやわらかいフォームで加速していく高桑。課題としてきた接地してからの足の動きも、ヒザが前へ前へと動き、足首の戻しも早かった。高野コーチによれば、それは「現時点での100点満点の走り」だった。

「3着にだけはなってはいけない」
 前をいく2人を追いかけながら、高桑はそんな思いを抱いていたという。前を追うことに必死になるあまり、動きがかたくなることは少なくないが、それでも高桑は最後まで崩れることなく、走り切った。ここにも彼女の成長が見てとれた。結果は3着。2着の選手との差は、わずか0.02秒だった。それでもタイムは今年7月に出した13秒69を0.31上回る13秒38。今持てる力をすべて出し切った。それは数字がすべてを物語っていた。

 今回、高桑の銅メダルという結果には、実は複雑な要素がからんでいた。障害がまったく異なる選手が混在し、障害の度合いによってポイントがかけられることなく、タイムがそのまま結果となったのだ。今年のジャパンパラ陸上競技大会でのクラス分けを見ると、高桑のT44は「片下腿切断(足関節離断含む)または片足関節の機能の全廃したもの。または、片下肢最小の障害基準(MDC)に該当するもの」とある。翻ってT47は「片前腕切断(片手関節離断含む)または片前腕最小の障害基準(MDC)に該当するもの」だ。つまり、簡単に言えば、下肢に障害をもつ選手と、上肢に障害をもつ選手とが同じレースを走ったのだ。高桑によれば、T47や同じ上肢に障害をもつT46の選手と同じレースで走ることは国際大会ではこれまで一度も経験したことがなかったという。もし従来通り、義足ランナー同士のレースであれば、結果は違っていたのではないか、という考えがどうしても頭をよぎる。

 だが、結果は結果である。言い訳を嫌う高桑も、そう思っているに違いない。確かにT47の選手と一緒に走ることへの不安は決して小さくはなかっただろう。実際、高桑はあまりの不安に「どういうレースになるのか想像がつかなかった」という。いろいろと思うところはあったはずだ。しかし、彼女は結果をきちんと受け止めている。そう感じたのは、彼女がインタビューでこう語っていたからだ。
「悔しい結果にはなったが、次につながるいいレースになったと思っています。47の選手と一緒に走ることに不安もあったけれど、その緊張感が自分の神経を研ぎ澄まさせてくれる要因になった。そういう気持ちの持っていき方はすごく勉強になりました」

 結局、13秒38は参考記録となり、アジア記録保持者となることもできなかったが、高野コーチは「追い風だったとしても、この記録が出たわけですから、もう出せる力があるという証拠ですよ」と自信を見せた。

 インタビューの最後に「4年前の広州がロンドンへの弾みとなったように、今大会は2年後のリオへの大きな一歩となるのではないか」という質問をぶつけると、高桑はこう答えた。
「そうですね。リオもそうですが、それこそ4年後のアジアパラだったり、その先の東京パラリンピックに向けて、すべてがいい勉強になりました」
 高桑が自ら遠い先の話を口にすることは珍しい。それだけ自信を得ているのだろう。

 一方、高野コーチにレースの感想を求めると「いやぁ、(レース前に)13秒6を切るかもしれないなんて言っていたことが申し訳なくらいとんでもない記録をつくりましたね」と喜びの声を口にした。そして、今大会のレースでつかんだ手ごたえをこう述べた。
「これから彼女はもっともっと強くなりますよ。リオでは決勝進出が目標というのではなく、メダル確実という選手として臨みたいと思っていますが、今回のレースでそれが現実味を帯びてきましたね」

 今、高桑は悔しさと自信とが入り混じった複雑な心境でいることだろう。だが、必ずそれが彼女を強くするはずだ。高桑にはその力がある――。

(文・写真/斎藤寿子)