今年のNPBドラフト会議で四国アイランドリーグplusからは徳島インディゴソックスの上間永遠(埼玉西武7位)、岸潤一郎(同8位)、平間隼人(巨人育成1位)、香川オリーブガイナーズの畝章真(広島育成3位)、計4名が指名を受けた。高卒1年目、最短でNPBへの切符を手にした上間は「最多勝投手になること」と大きな目標を掲げた。沖縄出身、徳島をステップボードに夢への第一歩を踏み出した上間に話を聞いた。

 

 イメージは巨人・菅野

 支配下指名を目標にしていたので7位指名されたのは嬉しいです。当日は「指名されるのか」という不安もあったし、どんどん上位が埋まっていくのは複雑な気持ちでした。ただ指名を受けNPBに行くことになり、高卒最短の1年でという思いがかなったので徳島に来て本当に良かったと思っています。

 

 アイランドリーグについては実際に進路を考えるまで名前を聞いたことがある、という程度の認識でした。でもインディゴソックスから話をもらった際、調べてみたら近年はドラフトで連続して選手を輩出していることがわかりました。「ここならNPBの近道になる」と思えたことが、アイランドリーグに進んだ一番の理由ですね。

 

 入った当初はリーグのレベルの高さに驚きました。甘く入った球は簡単に仕留められることが多く、1球1球を大事に投げないと生き残れないな、と思ったものです。自信になったのは8月1週目に戦った巨人3軍とのゲームでした。この試合は多くのスカウト、編成の部長クラスの方も来場していたそうで、そこで6回無失点。評価が上がったかなと思ったのと同時に、これまで3軍でもNPBの選手というのはすごいと思っていたので、自分のピッチングが通用したことが嬉しかったし、自信になりました。

 

 徳島に来てから牧野塁監督からは、こうアドバイスをもらっていました。「練習はやらされるのではなく、自分から取り組んでいけ。そうでないとNPBに行っても置いていかれるだけだぞ」と。これは高校(柳ヶ浦高・大分)の監督(定岡智秋監督)も同じことをおっしゃっていました。

 

 僕は沖縄県の出身で小学1年生から野球を始め、中学時代は地元のポニーリーグに所属していました。そこで全国大会準優勝を果たし、県内の高校に進むつもりでしたが、チームの代表と定岡監督が知り合いで、そこで「柳ヶ浦はどうだ?」と勧められました。定岡監督はNPB出身者ですし、ずっとそこを目指していた僕としてはいろいろと話しを聞いてみたい、指導を受けてみたいという思いもあって柳ヶ浦へ行くことにしました。

 

 高校に入って、そこで定岡監督から「練習は自分で取り組め」という教えを受けました。定岡監督はその他にも「自分から考えて取り組み、疑問があったら自分から聞きに行くこと。そうしないと何事も分からないし、身に付かない」と言われました。高校時代からその意識を持ち、また一学年上の田中瑛斗投手(北海道日本ハム)を見に来たスカウトの人にもアピールできるように、いつでもNPB入りを意識して行動していました。2年の秋から背番号1をもらい、甲子園には行けませんでしたが、プロ志望届を出し、そして1年でも早くNPBへという思いでアイランドリーグへと進みました。小さい頃からの夢がようやくかなったという感じです。

 

 西武の方からは「高卒1年目で若さがある。球速も伸び、将来性があり期待している」と言われています。目標とするのは巨人・菅野智之投手です。勝てる投手という意味ではもちろんですし、変化球すべてでストライクがとれるというのも目標としたい。持ち球はカーブ、スライダー、縦スラ、カットボール、シンカーとありますが、そのすべてでストライクをとれるように、もっともっと技術を磨いていきたいです。

 

 NPBで対戦したバッターは、とよく聞かれますが、そういう存在はいません。憧れとはではなく同じプロ野球選手として対戦するバッターは1人ひとり抑えていくだけです。今は早く1軍に呼ばれるようになり、チームの勝利に貢献できる存在になりたいと思っています。夢は先発ローテーショーン入りと、最多勝のタイトルを獲ること。高校を出て1年間、徳島で鍛えられNPBへ行くことができました。徳島のファンの皆さんの応援で頑張ることができました。これから西武に行っても変わらない応援をよろしくお願いいたします。

 

<上間永遠(うえま・とわ)プロフィール>
2001年1月31日、沖縄県出身。野球好きの祖父の影響でテレビの野球中継や大人の草野球チームでのキャッチボールなど幼少期から野球に囲まれて育つ。小学校入学とともに学童チームに所属し、ピッチャーを始めたのは4年生から。中学進学後、ポニーリーグの沖縄ダイヤモンドベースボールクラブに所属。中学3年生で全国大会に出場し、準優勝を果たした。高校は柳ヶ浦(大分)へ進学。1学年上に田中瑛斗(北海道日本ハム)がいた。2年生秋から背番号1をつけ、高3夏は県大会決勝まで進んだものの藤蔭に0対1で惜敗。19年、四国IL・徳島に入団。多彩な変化球を武器にローテーションの一翼を担い、15試合に投げ4勝4敗、64奪三振。防御率1.40で最優秀防御率のタイトルを獲得した。同年秋、埼玉西武から7位指名を受けた。身長180センチ・体重79キロ。右投右打。

 

(取材・文/SC編集部・西崎)


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