昔のことを思い出してみる。

 

 なぜトルシエは五輪代表とA代表の監督を兼任したのか。02年のW杯で結果を出すため、だった。

 

 当時の日本は、まだW杯に1回出場しただけで、1勝はおろか勝ち点1さえ獲得していない弱小国だった。そんな国が、決勝トーナメント進出という、それまでの開催国すべてがクリアしてきたノルマが課せられた。達成するためには、あまり常識的ではないことをやる必要がある。同じ指導者、同じコンセプトによる2チームの強化は、当時の関係者がたどりついた最善の策でもあったのだろう。

 

 ではなぜ、森保監督はA代表と五輪代表の2チームを見ているのか。

 

 トルシエの成功もあり、またアルゼンチンのメノッティ監督がA代表とユース代表の両方で世界一になったのを知る世代の人間のひとりとして、わたし自身、森保監督の兼任をすんなりと受け入れてしまった部分はある。だが、ベネズエラ戦の惨敗と、コロンビアに手も足もでなかった五輪代表の戦いぶりを受けて、いま、大きな疑問が湧いてきている。

 

 確かに、トルシエのチームには、あるいはメノッティのチームには、構成するメンバーは違えど共通する部分が多々あった。監督の教え、メソッドがチームに染みていた、といってもいい。

 

 だが、広島で戦った五輪代表と、大阪で戦ったA代表の間には、何の共通点も見いだせなかった。日本に関する知識や情報を持たない人があの2試合を見て、同じ監督に率いられていると見抜く可能性はゼロに近いのではないか。

 

 五輪代表選手のほとんどは、そして前半だけで4失点を喫した代表選手の多くは、そもそも森保監督が目指すサッカーというものを理解していないのではないか――。そんな疑念さえ湧いてきてしまった。

 

 ここにきて批判の声も高まってきているようだが、わたしは、森保監督の手腕、能力を極めて高く評価している。そのことは、いまもまったく変わらない。

 

 だが、A代表と五輪代表の監督を兼任することが、来年の東京五輪におけるメダル獲得を前提にしたものなのであれば、評価は変わってくる。より時期的に近く、より緊急性の高い五輪代表の強化が、中途半端になってしまっているからである。

 

 本番まであと半年あまりになったというのに、いまの五輪代表のリーダーは誰なのか、わたしにはわからない。そもそも、どんなサッカーを目指すのかもわからない。チームにかける時間の何割かがA代表に奪われているからなのか、監督と選手の間で目指すべきサッカーの全体像が共有できていない感さえある。

 

 五輪代表はあくまでも踏み台で、本番はカタールだというのであれば、このままでもいい。だが、来年も大切だというのであれば、兼任をこのまま続けさせるのか、本気で考えなければいけない時期に来ている。

 

 なぜ森保監督はA代表と五輪代表の2つを見ているのか。そして、兼任のメリットはあったのか。あるいは、今後はあると期待できるのか。ここは一度、立ち止まって考察する必要があるのではないか。

 

<この原稿は19年11月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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