「世界一速い男」を決める陸上男子100メートル決勝は五輪の華である。スタートの号砲が鳴った瞬間、スタジアムにはフラッシュの花がいっせいに咲き誇る。

五輪でこの種目、決勝を走った日本人は1932年ロサンゼルス大会の吉岡隆徳ひとりだけだ。直近のロンドン五輪を見てみよう。前回の北京五輪に続いて同種目を制したのはジャマイカのウサイン・ボルト。 彼が2009年世界選手権ベルリン大会でマークした9秒58が現在の世界記録だ。8人のファイナリストの自己ベストは全て9秒台。つまり「10秒の壁」を切らないことには決勝の舞台には立てないのだ。

そんななか、日本人初、いやアジア人初(07年に9秒9を出したカタールのサミュエル・フランシスはナイジェリア出身)の9秒台突入の夢を抱かせるスプリンターがすい星のごとく出現した。桐生祥秀という京都の高校生だ。さる4月29日、織田記念陸上で10秒01を記録し、一躍、時の人となった。

9秒台は日本人、いやアジア人にとっては、破れそうで破れない壁である。伊東浩司が98年12月、バンコクアジア大会準決勝で10秒00を叩き出した時には「アジア人が9秒台に突入するのは時間の問題」(当時の日本陸連幹部)と見られたが、それは甘い見通しだった。伊東が10秒00を記録した時点での世界記録はドノバン・ベイリー(カナダ)の9秒 84。それが今や9秒58だ。つまり世界とアジアの差は、その後、さらに広がったのである。

人類初の9秒台は68年6月、米国のジム・ハインズによってもたらされた。9秒9。実は同じ大会でロニー・レイ・スミスとチャーリー・グリーン(ともに米国)も9秒9を記録しているのである。
本書(集英社新書)の著者は彼らの「もうひとつの記録」に注目する。9秒9を記録した手動式とは別に電動式のタイムも公表されており、たとえばハインズの場合10秒03なのだ。

電動計時が公式記録となったのは、この4年前の64年東京五輪から。<東京五輪のとき
と同じ方法を用いれば、ハインズの記録(10秒03)は、100分の1の位を四捨五入して「10秒0」になる>と著者は述べている。数字のマジックとでも言うしかない。
では、なぜ東京五輪後も手動計時が公式記録に採用されていたのか。そのきわめて複雑な経緯を解明していくメス裁きこそは著者の真骨頂である。

本来ならば「人類初の9秒台」の栄誉は東京五輪の覇者ボブ・ヘイズ(米国)に与えられるべきだったと著者は書く。その理由をここで明かすことはできないが、100分の1秒をめぐる物語を堪能する上で、本書は二つとないテキストであると言えよう。 「10秒の壁」 (小川勝著・集英社新書)

<上記は2013年6月26日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>

「本はともだち」のコーナーは、本日を持ち終了となります。長い間ご愛読いただきまして、ありがとうございました。