ラグビーW杯日本大会は全国12会場で開催されているが、最も収容人数が少ないのが釜石鵜住居復興スタジアムである。

 

 

 東日本大震災の津波で全壊した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に、復興計画の目玉として、約49億円をかけて建設された。

 

「ラグビーを震災からの復興のシンボルに!」

 

 市民の熱意が実り、2015年3月、同スタジアムは国内12会場のひとつに選ばれた。

 

 さる9月25日、同スタジアムでフィジー(当時世界ランキング10位)対ウルグアイ(同19位)戦が行われ、格下のウルグアイが30-27で逆転勝利を収めた。これを震災からの復興の軌跡と重ね合わせ“釜石の奇跡”と報じたメディアもあった。スタジアムは1万4025人の観衆で埋まった。

 

 岩手県釜石市は「鉄と魚とラグビーのまち」として知られている。富士製鐡(現・日本製鉄)釜石製鉄所内にラグビーの実業団チームが誕生したのは1959年のことだ。後に「北の鉄人」と呼ばれる新日鉄住金の前身である。

 

 獲得した全国タイトルは、歴代最多の26回(日本選手権8回、全日本社会人大会9回、国体9回)。1978年度から1984年度にかけて日本選手権7連覇を達成した。伝説のチームは「釜石シーウェイブス」と名を変え、今も活動を続けている。

 

 7連覇の立役者である松尾雄治にとって、釜石は今でも「心のふるさと」である。

 

「地元の選手たちはね、高校でラグビーをやっていたといっても一線級はほとんどいなかった。そのことは皆が自覚していた。だから工場の階段を上り下りする時は、重い工具をぶら下げ、足腰を鍛えているんだよ。歩くのだって、わざとかかとを上げて歩いたり、社宅から走ってきたりと、皆涙ぐましい努力をしていた。僕はそこにラグビーの原点、アマチュアリズムの原点があると思ったね。入ってから分かったよ。“釜石でラグビーをやって正解だった”と……」

 

 課題は“祭りの後”である。スタジアムを、どう利用、活用するか。

 

 アクセスはお世辞にもいいとは言えない。仮に東京から行った場合、最短でも5時間半はかかる。県庁所在地の盛岡市からでも車で約2時間だ。

 

 仏作って魂入れず、という格言があるが、魂の役目を果たすのは、このスタジアムを継続的に使用するプロのチームである。

 

 清宮克幸ラグビー協会副会長は現行のトップリーグをプロリーグに再編し、 2021年にもスタートする計画を立てている。

 

 プロ化のコンセプトのひとつに「ソーシャル・イノベーション」がある。ラグビーの力で地域を振興し、住民に新しい価値を提供する――。日本代表の活躍が、追い風を吹かせている。

 

<この原稿は『経済界』2019年12月号に掲載されたものです>

 


◎バックナンバーはこちらから