第288回 平間隼人(徳島→巨人育成1位)「出戻りからNPBへ。厳しい環境でこそ野球が楽しめる」

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 徳島インディゴソックスの平間隼人が昨秋、巨人から育成ドラフト1位指名を受けた。ドラフト会議直後から指名挨拶やトレーニング、さらにジャイアンツ球場での育成選手冬季合同練習にも参加し、多忙な日々を過ごした平間に昨年末、ようやく話が聞けた。一度、徳島を退団したものの、「本気の野球は今しかできない」と現役復帰。"出戻り"でNPB入りをつかみとった平間の決意とは。

 

 巨人で活躍し徳島に恩返し

 ドラフト当日を振り返ると、ケジメの年だと1年勝負に臨んだシーズンで、そして自分自身でもやりきった感があり、徳島球団が用意してくれた指名待ちの会場にいられただけでも光栄でした。だから指名された瞬間は余計にグッと込み上げてくるものがありましたね。

 

 指名後、息をつく間もなく様々なスケジュールをこなし、12月にはジャイアンツ球場での育成選手合同練習にも参加しました。そこでジャイアンツのユニホーム(練習着)を着て練習し、さらに二岡智宏コーチや金城龍彦コーチなど、首脳陣は自分がプロ野球を見ていた頃の選手ばかりで、「あぁ、NPBに入ったんだな」と実感しました。とはいえまだまだこれからです。今はとにかく支配下登録され、そして活躍することが、三軍でお世話になる方たちへの恩返しになる。その気持ちで頑張っています。

 

 僕は他の育成選手より年齢も上だし、彼らと勝負云々とは思っていません。僕と同年代(96年生まれ)で戦力外になった選手もたくさんいますから、その代わりに支配下に入れるように、とにかく自分との戦いです。

 

 徳島での19年シーズンを振り返ると、精神的にも技術的にも大きく変わった年でした。17年限りで一度引退、1年後に復帰し、19年は「野球は最後」と決めた年だったので、とにかく悔いがないように、と。開幕前には徳島の先輩である増田大輝さん(巨人)と一緒に自主トレを行い、そこで守備を教わりました。といっても具体的にアドバイスをもらったというよりも、一緒にノックを受けて、それを見て多くを学びました。一番は増田さんを間近で見たことで、NPBのレベルを痛感し、自分のやらなきゃいけないことがわかったという感じですね。

 

 徳島に復帰したのは徳島・橋本球史コーチの誘いもあったのと、自分自身が会社勤めをしながらも野球にまだ未練があったと気づいたからです。会社員をしながら趣味の野球なら10年後でもできますが、本気の野球は今だけしかできない、と。今しかないだろう、と復帰を決めました。復帰後はよく「吹っ切れたようにハツラツとプレーしているね」と言われましたが、野球を始めたころからずっと「どうせやるなら楽しくやりたい」と思っていたので、それがさらに出た格好ですね。しんどそうにやっていても意味ないですし、そのスタンスは子供時代から変わりません。

 

 巨人でも楽しくやりたいです。というと語弊があるかもしれませんが、当然、置かれた立場は厳しいし、競争も激しい。でもそういう状況で本気で野球ができるのも楽しいことですよね。さらに厳しく、さらに楽しいであろうもっと上のレベルでやれるように頑張りたいです。

 

 目標は誰というよりも自分が一軍に行き活躍することです。プレーヤーとして最高点としては西武の源田壮亮選手のようになりたい。打って守れて走れる三拍子揃った選手ですね。同郷の先輩・増田さんは目標というよりも今ではライバルです。ずっと先輩の背中を見て、目標にして追いかけてきましたが、今は自分自身がさらに上を目指していかないと、並ぶこともできないと思っています。2月のキャンプインから少しでも首脳陣の目に留まるようにして、上に呼んでもらうように頑張ります。

 

 徳島では5年を過ごし、しかも出戻りなのにファンの皆さんやスポンサーの方々はいつも暖かく支えてくれました。地元出身ということでちびっこから大人までいっぱい応援してくれて、とても感謝しています。さらに北米遠征という貴重な体験もできたし、球団の一員として地域交流など野球以外のことも経験させてもらいました。

 

 巨人で活躍し、そして新聞やテレビにも取り上げられるようになれば徳島のことをもっと知ってもらえるようになる。そうやって徳島の皆さんに恩返しがしたいですね。支配下登録、そしてその先を目指して頑張りますので、これからも変わらず応援お願いします。

 

<平間隼人(ひらま・はやと)プロフィール>
1996年12月16日、徳島県出身。学童チームで野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属、ポジションはピッチャーを務めた。鳴門渦潮高(徳島)野球部に入部後、内野手に転向。主将としてチームを率いた高3夏、徳島県大会準優勝を果たした。卒業後、徳島インディゴソックスに入団。1年目の15年、打率3割1分3厘をマークし、2年目はショートのレギュラーに定着した。17年、前年に続きレギュラーポジションを確保しながら、シーズン終了後に退団。18年は一般企業で会社員として働いたが、NPBへの夢を諦めきれず、現役復帰。最後のチャンスと臨んだ19年シーズンは、セカンドのレギュラーとして活躍し、43盗塁で盗塁王に輝いた。同年秋、巨人から育成1位指名を受けた。身長173センチ・体重75キロ。右投左打。巨人での背番号は002。

 

(取材・文/SC編集部・西崎)

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