(写真:筆者の「宝物」。獣神サンダー・ライガーのプライベート用マスク)

「ライガーさんの最後の雄姿を見たかったな」

 年始に行われた新日本プロレスの東京ドーム大会が、獣神サンダー・ライガー選手のラストマッチとなった。僕は故郷での法事のタイミングと重なってしまい、残念ながら会場に足を運ぶことができなかった。

 

 実は、ライガーさんに対して特別な想いを持っている。厳密には、変身前の素顔時代になるが、初めてプロレスラーの筋肉に触れた選手だからだ。

 

 僕が中学生だった頃、故郷の愛媛県新居浜市にあるレンタルビデオ店で、地元出身のスター木村健吾(現・木村健悟)選手のサイン会が開かれた。そこに木村選手と同行していたヤングライオンの選手が、素顔だった頃のライガーさんであった。

 

 1986年の出来事なので、もう34年も前の話になる。

「腕を触らせてもらってもいいですか?」

 生まれて初めてプロレスラーの腕を至近距離で見た僕は、つい興奮してこんなお願いをしてしまった。なんとリクエストに応え、ライガーさんは気前よく触らせてくれたのである。

 

 その腕は、まるでボールが埋め込まれているように盛り上がっていて、恐ろしく硬い。

 カチカチの上腕二頭筋は、一生忘れられないほどのインパクトがあった。

「人間の腕ってあそこまで硬くなるとは信じられん」

 興奮が収まらない僕は、自宅に帰ってからもプロレスファンの兄を捕まえては、ライガーさんの腕の硬さについて熱弁をふるったのだった。

 

 それから3年後、UWFの練習生となった僕は、兄弟子である船木誠勝選手の車の中で、新日本プロレス所属であるライガーさん(この年に東京ドームで獣神ライガーとしてデビュー)と再び会うチャンスに恵まれた。当時、2人は骨法という格闘技を習っていたこともあり、団体は別々になっても時々会っているようだった。車中でのライガーさんは、驚くほど陽気で明るい方で、ゴツイ体とのギャップが可笑しかった。

 

 さらに6年後、リングでの対戦の可能性が出てきた。

 1995年に行われたUインターと新日本プロレスの対抗戦である。

 残念ながら、僕はライガーさんとのカードを組まれることはなかったが、強く印象に残っているのはヤマケン(山本健一。現・山本喧一)との試合だ。

 

 ライガー、金本浩二組と佐野直喜(現・佐野巧真)、ヤマケン組のタッグマッチなのだが、後に新日本プロレスの歴代ケンカファイトの上位5位に入るほどライガーさんの凄味が出た試合であった。

 

 試合中に「糞ライガー」と若いヤマケンが挑発したものだから、大変なことになったのである。ブチ切れたライガーさんの恐ろしいこと!

 

 当時の試合をヤマケンに振り返ってもらった。

「パートナーである佐野さんもカットに入ってくれず、2対1のハンディキャップ状態の中、必死に闘いました。今では考えられないようなカードであり、試合内容だったと思います」

 

 試合後の控室で、ヤマケンがライガーさんについて語った話が今も印象に残っている。

「ライガーさんの怒りが、マスク越しでも手に取るように伝わってきました。『殺すぞ、このクソガキ』と低く小さな声で聞こえてきたのが怖かったです」

 ライガーさんは、マスクに全身コスチュームという派手な見た目とは裏腹に、その根っこは「闘い」や「怒り」に重きを置いているのである。

 

 おそらくアントニオ猪木さんの付き人をやったり、藤原喜明さんとのスパーリングなどの影響が強く残っていると思われる。

 間違いなくストロングスタイルの継承者なのである。

 

 そんなライガーさんとついに対戦する時がきた。

 2002年に新日本プロレスに入団した僕は、新日本ジュニアで闘っていくことを決意した。

 

 ファンの頃に見た高田延彦さんや越中詩郎さん、船木さん、素顔時代のライガーさんなどジュニアヘビー級の選手への憧れが強かったからだ。テレビ中継で見ていたジュニアの試合は、スピーディーで技がキレていて一番面白かった。あの目まぐるしい攻防が自分にもできるだろうか? 新日本ジュニアに身を置くことは自分自身への挑戦でもあった。

「最後は、憧れていた新日本ジュニアで完全燃焼しよう」

 僕は大きな覚悟を持って、新日本プロレスのリングを跨いだのである。

 

 新日本ジュニアの象徴はライガーさんだ。ここは避けて通れない。

 2004年、舞台はベスト・オブ・ザ・スーパージュニアの公式戦。ライガーさんとシングル2度目の対戦となった。僕が前年王者、ライガーさんはGHCジュニアヘビー級王者。場所は岡山の津山だったと思う。気合満々で試合に臨んだものの正直ライガーさんに火をつけることはできなかった。試合結果は、20分引き分け。長い試合をしただけで、ヤマケンのように怒りを引き出すこともジュニア特有の高度な攻防も魅せられなかった。

 

 お互いが様子を見ながら試合は流れていき、気が付くと時間切れという感じであった。

 感情が交差するような熱い試合ができなかったことを今でも後悔している。

 しかし、ライガーさんと試合をしたかった選手は、世界中に星の数ほどいることを考えれば、20分も闘えたことは幸運だったと思う。

 

 プライベートで思い出すのは、巡業中にクワガタの雑誌を買って僕にプレゼントしてくれたことだ。あれは嬉しかった。自分の趣味を覚えてくれていたことも驚きだが、あんなマニアックな雑誌を地方の本屋さんで見つけられたことが凄い。感謝感激だったのは言うまでもない。こんな気配りができるライガーさんは人間的にも超一流なのである。

 

 実は、いただいたのはクワガタ本だけではない。なんとライガーさんのマスクも受け取ったのである。

 リクエストした試合用ではないが、逆にレアなプライベート用のマスクをいただいたのだ。

 プロレスファンなら誰もが欲しがるライガーさんのマスクを持っているのは僕の自慢だ。

 

 先週、諸々の感謝や引退のご挨拶をしようと私用で福岡を訪ねた際に、ライガーさんに電話をしてみた。引退したので、しばらくはご自宅でのんびりされているだろうと僕は安易な発想だった。さすがにアポなしではつながらなかった。2日目に何とか連絡を取れたものの忙しいライガーさんは、なんと遠く北海道にいた。

 

 いやはや、このタイミングの悪さが僕なのかもしれない。

 最後の最後までライガーさんとスイングしなかったが、いつの日かファンの頃に撮った写真を見せながら、プロレス談義をしてみたい。

 

(このコーナーは毎月第4金曜日に更新します)


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