センバツは大正13年(1924)年に始まり、第1回大会の優勝校は香川の高松商。同校は第2回大会でも決勝に進んだが、隣県の愛媛・松山商に惜敗し、連覇を阻まれた。

 

 高松商、松山商に高知商、徳島商を加えた4校は「四国四商」と呼ばれ、長く四国、いや日本の高校球界をリードしてきた。

 

 春夏合わせた優勝回数は松山商7回、高松商4回、高知商と徳島商が、それぞれ1回ずつ。

 

 全国的に見ても、甲子園における商業高校の歴史は輝かしいものがある。

 

 大正から昭和にかけて、優勝経験のある高校と回数は以下の通り。

 

 広島商(7回)、松本商(現松商学園・1回)、第一神港商(現神港橘・2回)、中京商(現中京大中京・10回)県岐阜商(4回)、東邦商(現東邦・3回)、愛知商(1回)、浪華商(現大体大浪商・4回)、京都一商(現西京・1回)、静岡商(1回)、下関商(1回)、岡山東商(1回)、銚子商(1回)、浜松商(1回)、伊野商(1回)、佐賀商(1回)。平成に入り、商業高校を前身とする中京はひとつ、東邦はふたつ優勝回数を重ねた。

 

 文字通り平成は、商業高校にとって受難の時代となった。優勝したのは平成6(94)年夏の佐賀商と、平成8(96)年夏の松山商の2校のみ。センバツは昭和60(85)年の伊野商を最後に、優勝から遠ざかっている。

 

 商業高校の衰勢は、昨今の子供を取り巻く教育環境の変化と無縁ではない。進学率が高まるに従い、商業高校や工業高校、農業高校などの”実業校離れ”が進み、少子化が追い打ちをかけた。

 

 たとえば工業高校の生徒数のピークは昭和40(65)年の約62万4000人。高度経済成長期のど真ん中だ。企業は即戦力人材を求めた。それが平成27(2015)年には約25万5000人。ピークの約4割だ。

 

 近年は実業系高校の校名変更が相次ぐ。サッカーの名門・清水商は清水桜ケ丘、ラグビーの強豪・伏見工は京都工学院に変わった。

 

 センバツに話を戻そう。今年は4校の商業高校(県岐阜商、明石商、倉敷商、大分商)と1校の農業高校(帯広農)が出場する。本紙によると商業高校が4校以上出場するのは14年ぶり。名将・鍛治舎巧率いる県岐阜商は高木守道、倉敷商は星野仙一、松岡弘、大分商は岡崎郁の母校だ。オールドファンの琴線に触れる戦いを期待したい。

 

<この原稿は20年1月29日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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