17日に急性心不全のため78歳で死去した高木守道さんが得意としていたバックトスは、長嶋茂雄さんの逆シングルからの“右手ひらひら送球”と並んで、草野球の華だった。田んぼや原っぱでよく真似をした。成功した記憶はほとんどないが…。

 

 いつだったか高木さんに、その話をすると、「当初、先輩からは“基本的なプレーじゃない”と随分、お叱りを受けたものですよ」と語っていた。

 

 その口ぶりには、錬磨に錬磨を重ね、独力で作り上げた“必殺技”だとの自負がにじんでいた。一言で言うなら、生涯をかけて一口(ひとふり)の名刀を世に送り出す刀工のような人だった。

 

 この世代には職人的な選手が多かった。近藤和彦さんの“天秤打法”、小川健太郎さんの“背面投法”、木俣達彦さんの“マサカリ打法”…。時間をかけ、丹念にこしらえた個性的なフォームは、そのまま彼らの代名詞でもあった。

 

 だが、こうした外連の芸は、なぜか基本を軽視しているように見られがちだった。誰が高木さんに向かって、基本云々と言ったか知らないが、派手に見えるプレーは確実性に欠けるとの思い込みがあったのだろう。反骨心をバネに、高木さんは徹底した反復練習により再現性を高め、技芸を至芸の域にまで昇華させた。「(バックトスの)ミスを見たこと、そうはなかったでしょう?」

 

 今から30年ほど前、「ホームラン」という野球専門誌の「歴代ベストナイン」という企画に参加したことがある。老壮青の論客が集まった。憚りながら私も青の末席に加えてもらった。もちろん二塁は高木さんを推した。これに異を唱えたのが小柳幸郎さんという名物編集者だ。「キミは苅田久徳のプレーを見たことがないだろう。苅田の前に苅田なし、苅田の後に苅田なしなんだ」。これはもう勝負にならない。結局、二塁は苅田さんで押し切られてしまった。

 

 不明を恥じ、後日、苅田さんの元を訪ねた。いきなり目の前に五円玉をぶら下げられた。右と左、どちらの目で穴を見ているか。焦点が合っている方が利き目なのだという。「打撃にしろ守備にしろ、自分のことがわかっていない者は上達しない」。恐る恐る高木さんについて切り出した。「名手と名人は(格が)違うんだよ」。そこから先は聞けなかった。バックトスに胸躍らせた世代の人間として、私は後者だと信じている。

 

<この原稿は20年1月22日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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