IPC(国際パラリンピック委員会)が強権的なのか、IWBF(国際車いすバスケットボール連盟)が独善的なのか――。

 

 IPCは先月末、IWBFに対し、クラス分けの基準を独自に設定するのは国際基準に反するとして車いすバスケを東京パラリンピックの実施競技から除外する可能性があると警告した。5月29日までにIWBFがIPCの要求に応じなければ東京から花形競技が消えることになる。

 

 IOCによるマラソンと競歩の東京から札幌への突然の会場変更指示にも驚いたが、車いすバスケの場合、この期に及んで、実施すら危ぶまれる最悪の事態に陥ってしまった。選手たちの気持ちはいかばかりか。

 

 私がパラリンピックで初めて車いすバスケを取材したのは2000年のシドニー大会だ。知っている選手といえばJリーガーから車いすバスケに転じた京谷和幸くらい。重い障がいを持つ彼は、ローポインターゆえ献身的な守りでチームに貢献していた。ピッチではパスをもらう役回りだった男が、コートでは黒衣に徹している姿に感銘をうけた。

 

 しかし、その裏では知的障がいバスケにスペイン代表が健常者を紛れ込ませるという“替え玉事件”が発覚し、IPCから金メダルを剥奪された。このように光もあれば陰もあるのがパラリンピックである。

 

 車いすバスケに話を戻せば、障がい者スポーツきっての人気競技であるがゆえにIWBFには「IPC何するものぞ」との思いが強いのだろう。

 

 今回、問題視された4.0と4.5の、いわゆるハイポインターの中には健常者と見分けがつかない選手もいる。現場の選手からも、「障がいの有無がわからなかった」「車いすを降りると普通に歩いていた」といった不信の声があがっていた。ゲームの公平性を担保する上でIPCが警告を発するのは理解できる。

 

 一方、車いすバスケには、パラリンピックなどを除き健常者も4.5ポイントで試合に参加できる、いい意味での“緩さ”がある。健常者と障がい者の垣根が低いのは、この競技の最大の特長だ。

 

 日本パラリンピック委員会委員長の河合純一は、目指すべきこの国の姿を「ミックスジュースではなくフルーツポンチ」と語っていた。個性をすり潰すのではなく、単体として混ざり合う――。車いすバスケには、共生社会のフロントランナーでいてほしい。

 

<この原稿は20年2月5日付『スポーツニッポン』に掲載されたものを一部再構成しました>


◎バックナンバーはこちらから