生前、野村克也さんへの長めの取材はホテルニューオータニの会議室で行うことが多かった。約束の取材時間が終わりに近づくと決まって沙知代さんが現れた。高級な香水の匂いで彼女が到着したのがわかった。猛女のイメージのある沙知代さんだが、取材中は一切口をはさまず、終わると連れ立ってホテル内のレストランに足を運ぶのが常だった。

 

 ところが3年前の暮れに伴侶を失って以降、野村さんからオーラが消えた。それからというもの、会うたびに「寂しい…」とこぼしていた。

 

 刀根山籠城事件――。話は今から43年前に遡る。南海の選手兼監督時代、野村さんと沙知代さんは、いわゆる“愛人関係”にあった。彼女が球場に出入りしていることが“公私混同”と見なされ、チームは2位ながら野村さんはシーズン終了を待たずに解任された。

 

 この突然の解任劇に納得のいかない野村さんは大阪府豊中市刀根山にあるマンションに、野村派である江夏豊さん、柏原純一さんらとともに“籠城”した。

「鶴岡元老に吹っ飛ばされた」。鶴岡元老とは鶴岡一人元監督。引退後も球団に隠然たる力を持つと言われた実力者の差し金だと野村さんは勘ぐったのだ。

 

 進退窮まった野村さんは自らの後援会長である比叡山延暦寺の高僧に相談した。沙知代さんも同行した。

 

「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せい!」と高僧。「女を取ります」と野村さん。「野球ができなくなってもいいのか」と畳みかける高僧に向かい、野村さんはこう啖呵を切った。「仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代という女は世界でひとりしかいません」

 

 沙知代さんも黙ってはいなかった。「坊主は法を説くって聞いているけど、なによ、その態度は! このクソ坊主!」。その時の光景が目に浮かぶようだ。いつだったか野村さん、苦笑を浮かべてこう語った。「サッチーには随分、助けられました。心強い味方です。でも、あのクソ坊主だけは余計だったかな…」。「あら、あれは本当のことよ」と傍らの沙知代さん。同志的夫婦の姿が、そこにあった。

 

 南海をクビになった野村さん、ロッテ金田正一監督のオファーを受け、上京する運びとなるのだが、「私たちを追い出した人たちを見返してやりましょう」と言って尻を叩いたのも沙知代さんだったという。世にも美しい“夫唱婦随”ならぬ“婦唱夫随”の物語の続編は、ぜひ天界で。合掌

 

<この原稿は20年2月12日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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