野村克也のID監督論 選手と一緒に喜ぶリーダーはいらない<後編>

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二宮: 野村監督のその探求心は、現役時代からのものでしょうね。経験や勘にとらわれない、データ重視のID野球を生んだのも、毎打席の情報を集め、分析するという「学者」のような研究熱ゆえのものです。

 

<この原稿は2009年2月号『Voice』に掲載されたものです>

 

野村: 私の時代は16ミリフィルムしかなかったから、友人に「ピッチャーのこの個所にピントを合わせて撮影してほしい」と頼んだりしていました。家に帰ってから、その動きをフィルムが擦り切れるほど見る。すると見えてくるんです、投げるボールの縫い目や選手のクセが。当時はこんなことを誰もしていなかったから、自分で研究するしかありませんでした。それが野球を考えるうえで、かえってよかったのかもしれない。

 

二宮: いまはスコアラーが詳細なデータを選手に与えてくれるので、自分から学ぼうという意欲が薄いように感じられます。

野村: メジャーリーグに「教えないコーチが名コーチ」という言葉があります。しかしそれは、何を聞いても教えてくれないという意味ではありません。コーチからは何も言わない代わりに、聞きに来た選手に対してはとことん指導する。選手自身の問題意識を高めるという指導法であって、指導をしないという意味ではない。要は、監督やコーチは相談員、カウンセラーのようなものなのです。

 それにしても、1年で結果を求められる契約の世界で、私がプロ野球界に53年も携われているのは、信じられないことです。処世術もなく、不愛想でお世辞もいえない人間が、野球解説者や監督として、現役引退後も生き残れた理由は何だろうか、とよく考えるんです。

「俺はホームランを何本打った」とか「三冠王になった」という過去の栄光は、何の役にも立ちません。頼れるのは努力であり、人様の役に立つことは何かを考え、一所懸命に仕事をすること。そうすれば、誰かがきっと見ていてくれる。その経験から、私が選手に話すのは「人間の成長なくして、技術の進歩なし」ということです。

 私たちプロ野球の世界は、評価で成り立っています。そのとき自分で自分を評価すると、どうしても甘くなりがちです。上の人間に対して「なぜ俺を使ってくれないのか」「なぜこんなに給料が低いのか」と憤りを感じることは、誰でもある。

 しかし評価というものは人がするものであって、他人の目から見れば、その人はやはりそれだけ評価が低いということです。不平不満を口にする前に、まず自分自身が成長、進歩しなければならない。人間形成が技術の進歩と並行するというのが私の考えの根本にあるのです。「人間的成長なくして技術的進歩なし」です。

 

二宮: 自らの分をわきまえることを、選手に教えなければならない。

野村: 人の評価によって生かされているという自覚を部下に悟らせるのは、指導者の大事な務めだと思います。いま日本プロ野球12球団の監督に欠けているのは、この人間教育ではないでしょうか。人を育てる人がいないのは、技術指導のほうばかりに目がいって、人間を成長させる、という基本が忘れられているからです。あらゆる人間には、指導者や教えを請う存在が必要です。

 

二宮: 野村監督が中村紀洋に古事名言を贈ったように、教養を磨き、授けようとする監督は、現在のスポーツ界の指導者のなかでは少数です。

 かつて大相撲・双葉山の連勝記録が69で止まったとき、彼は『荘子』を引用して同じ安岡正篤(陽明学者、東洋思想家。歴代総理、財界の指南役として知られる)を師とする仲間に「我、いまだ木鶏たりえず」という電報を送りました。闘鶏において、外に闘志を発散させているうちはまだ弱者であり、あたかも木で彫った軍鶏のように内に秘めた者こそが、真の強者ということです。彼もまた、安岡正篤という師匠の下で人格を陶冶したからこそ、技術のみならず人格的な面で一流になりえたのです。

野村: 私の場合、評論家の草柳大蔵さんがそれに当たる人でした。草柳さんと食事をしながら話を聞いていると、なぜこの人はこんなに知識が豊富なんだろう、自分の頭を割って脳の構造を比べたいと思うほどでした(笑)。

 

二宮: 最近のスポーツ選手は、いわゆる文化人や一流の経営者との付き合いに乏しい。女性アナウンサーと付き合う選手は多いけれども(笑)。

野村: 若い選手に伝えたいのは、現役のうちに教養も含めて、自分を磨いておいた方がいいということです。野球の技術だけで生きていられるのはわずかな期間であって、その先、現役時代よりはるかに長い人生の道のりが待っています。大概の選手は、戦力外通告を受けて初めて目が覚める。人生後半の道をいかに歩むか、を真剣に考えるべきです。まして監督やコーチをめざすなら、野球の知識だけではとうてい間に合わない。幅広い分野に認識を広げ、勉強しなければなりません。

 

二宮: 監督は指導者として、己を磨き、選手より一段高い次元で戦略を考えなければなりません。なにしろ、日本でプロ野球の監督と呼ばれる人は12人。誰でもなれる職業ではないのだから、もっとプライドを持ってほしい。

野村: 指導者としての立場で考えるべきことは、選手とは、別にあります。私はめったに選手を褒めませんし、自分のチームにホームランが出ても、選手と一緒に喜ばない。お世辞がいえないとおいう性格もありますが、それより自軍がリードすれば、すぐブルペンが気になってしまうのです。リードを守りきる態勢になっているか、抑えピッチャーの準備は整っているか。次に打つべき手のことを考えると、喜んでいる暇はない。

 ホームランが出るとベンチを飛び出して、選手と一緒に喜ぶのも1つのやり方で、否定はしません。はっきりいって、そういう監督のほうが人気は高い(笑)。でも、選手と同じ立場で喜んでいたら、監督がチームにいる意味がないのではないでしょうか。

「治にいて乱を忘れず」という言葉のように、皆が熱くなっているときにひとり、冷静に戦略を考えるのが、われわれの仕事だと思う。戦況はつねに変化しています。その変化を見つづけて、対応策を考えつづけるのが、私の使命だと考えています。

 しかし、野球について話すと、本当に我を忘れるといか、止まらなくなってしまう。好きで飽きることがない。

 

二宮: まさに天職ですね。最後に、今年の楽天は野村監督にとって総決算というか、勝負の年になります。

野村: なにしろ「引退の花道を」といわれましたからね(笑)。

 

二宮: 優勝したら、辞めるわけにはいかないでしょう。

野村: いや、優勝してもダメでしょう。それこそ年齢の問題で。

 

二宮: 野村監督を必要としているチームは、まだたくさんあります。そのうち、昨年最下位だったセ・リーグの横浜あたりから、声が掛かるのではないですか(笑)。

野村: いやいや。私の最期は優勝監督としてチームに胴上げされ、降ろしてみたら事切れていた、というのが理想ですから(笑)。

 

(おわり)

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