<この原稿は『GQ JAPAN』2011年11月号に掲載されたものです>

 

 監督としてのキャリアハイはACミランを指揮した98-99シーズン。熾烈なデッドヒートを制し、スクデットを獲得した。

 

 その後、インテルやユベントスでも采配を振るい、いわゆる「ビッグ3」を指揮した史上ふたり目の監督になった。

 

 インテルやユベントスでは手腕を発揮できなかったものの、功なり名を遂げた名将が、はるばる“日出ずる国”にやってきた本当の理由は何か?

 

「日本からのオファーには正直、驚きました。しかし、私にとっては、とても魅力的に映りました。というのも、日本は非常に伸びている国ですし、チームに“和”があることを(南アW杯などを通して)知っていました。

 勝つ喜び、そしてチームプレーの尊さ。それを知っているのはヨーロッパよりも日本の選手のほうが上ではないでしょうか……」

 

 ザックジャパンの船出は上々だった。監督就任後、初の公式大会となるAFCアジアカップに優勝。タイトル奪回はもちろんだが、選手起用、選手交代もズバズバと的中し、いやが上にもザッケローニ氏の評価は高まった。

 

 自らを「異端児」とみなす新たな道の探求者

 

 日本代表の指揮を執って、早いもので丸1年。当初、描いていたイメージに狂いはないのか?

 

「想像していた以上に日本の選手はサッカーを知り、クオリティの高いサッカーをやってくれています。

 私は来日前から、イタリアのスタイルを日本に押し付ける気は毛頭ありませんでした。私が日本の文化を知り、日本の文化に学び、それを土台に日本のサッカー文化を構築したうえでイタリア式を加味しようと考えていたのですが、非常に手応えを感じています。

 日本社会、日本サッカーのネガティブな面? まるで見当たりません。国民性も素晴らしいし、生活も快適です。この1年で得た結果が、さらに私の考えを肯定的にさせているのかもしれません」

 

 手許に一冊の本がある。

『ザッケローニの哲学』(PHP研究所)

 著者は本人だ。

 

 そのなかに、意外なフレーズがあった。ザッケローニ氏は自らを「異端児」だと見なしているのだ。

 

<私は自分を「異端児」とみなすのがお気に入りだったし、もっと分かりやすく言えば、自分を新たな道の探求者だと考えるのが好きだった。>

 

 監督になるまでの経歴、常識にとらわれない戦術、そしてはるばる日本にまでやってくるチャレンジ精神。ザッケローニ氏がコンサバティヴな人間でないことはよく分かる。

 

 しかし「異端児」とは……。

 

「私は基本的に人と同じことをするのが好きではないんです。イタリアで監督になるための講習に参加していたときもそうです。ただ人がやっているのを真似るだけではなく、かたちを変えたり、工夫を加えたりしながら、自分に合ったものをつくり出していました。

 もちろん、それは戦術についても言えます。よく“ザッケローニといえば3-4-3”と判で押したように語る人がいますが、私は“システム先にありき”ではありません。システムというのは選手の能力や特徴を把握したうえで構築されるべきものなのです。

 

 確かに3-4-3というシステムを試したのは私が最初です。しかし、どのチームにもこのスタイルで戦ったわけではありません。トップレベルの監督であるには、いくつものシステムを理解していなければなりません。

 

 ご存知のように、かつてサッカーにはリベロというポジションがありました。今、ありますか? このようにサッカーは日々進化しているのです」

 

 もうひとつ、著書から。

<サッカーボールはいつも丸いわけではない>

 

 難解な表現だが、その心は?

「サッカーも人生同様、いつもうまくいくわけではありません。同じような状況はふたつとしてないんです。似たような状況はあってもね。つまり成功例もふたつ同じということはありえない。だから私は過去のどのような例も(日本代表に)当てはめようとは思わないんです」

 

 ザッケローニ氏の挑戦がもたらす果実は、ものすごく魅力的で味わい深いものであるに違いない。

 

(おわり)


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