「手話通訳士は、なぜマスクをつけないんだ!?」。全国の自治体には、こんなクレームが相次いでいるという。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言が全国に発令されたあたりから急激に増えたという。

 

 実は私も同じ疑問を抱いていた。会見をする首長の隣に立つ手話通訳士の口に、あるべきものがない。新型コロナウイルスは他人にうつしてもうつされても不幸だ。なぜ無防備なのか…。

 

「いや、手話通訳士がマスクをすると、口元の動きが読めなくなるんです。聴覚障がい者は手話通訳士の手の動きだけでなく口元も見ている。そこからも情報を得ているんです」。疑問を解いてくれたのは日本パラ陸上競技連盟の花岡伸和副理事長だ。彼に教わるまで、恥ずかしながら「手話」というくらいだから、手の動きのみが「言語」の役割を果たしているものとばかり思っていた。ところが「手話」には「非手指動作」と呼ばれるものもあり、眉の上げ下げや口のかたちまでもが意味を明示する機能を有しているというのである。

 

 恥の上塗りだが、私ときたらNHKの手話ニュースを見るたびに、「手話通訳士の方は皆、表情が豊かだなぁ」などと呑気なことを考えていた。彼らは顔の筋肉をフル稼働させて重要な情報を伝えていたのだ。

 

 あれは東日本大震災の時だ。石原慎太郎都知事(当時)が槍玉にあげたのが自動販売機だった。「電気の無駄使いだ」。その通りだ、とヒザを打った記憶がある。しかし、その後の調査で自販機はすぐれた節電機能を有しており、それのみを悪者にしたところで問題は何も解決しないことが明らかになった。

 

 そんな折、視覚障がいを持つパラアスリートから次のような悩みを聞いた。彼女は網膜色素変性症の進行とともに、少しずつ視力を失っていた。「(震災の影響で)地下鉄の通路が暗くなり、困っています。頼りにしていたのは自販機。駅の構内では壁際にあることが多いため、自分がどこにいるかがわかる。ところが自販機の電気が消えたことで手掛かりがなくなってしまったんです…」

 

 花岡によれば自然災害やパンデミックが発生した時、最もしわ寄せがいくのが「介助を必要とする人々」だという。パラリンピックが1年延期になったからといって「心のバリアフリー」も先送りしていいわけがない。未知のウイルスは弱者にも、いや弱者にこそ容赦がない。

 

<この原稿は20年4月29日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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