新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、2020年夏に予定されていた東京オリンピック・パラリンピック競技大会は1年延期が決まった。2004年アテネ、2012年ロンドンのパラリンピック2大会に車いす陸上で出場した花岡伸和氏は現在、一般社団法人日本パラ陸上競技連盟の副理事長であり、またコーチとして選手強化に奔走している。東京大会の開催延期で、浮き彫りになったものは何か――。現状と今後について訊いた。

 

※取材は4月27日にWEBインタビューで実施

 

二宮清純: 新型コロナウイルス感染拡大を受け、今年3月に東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まりました。その時の心境は?

花岡伸和: 選手や関係者の安全が第一ですから仕方がありません。正直、ホッとした部分もあります。大会に向けた準備や、選手の強化も非常に慌ただしい中で進めてきましたから。ポジティブに捉えれば、少し冷却期間を置けるかなと……。

 

伊藤数子: 東京オリンピック・パラリンピックを始め、様々な大会やイベントが中止や延期になっています。花岡さんご自身はどのように過ごされていますか?

花岡: 基本的に自宅で過ごしています。スポーツ関係の仕事は“平和な時じゃないとできないな”としみじみ感じていますね。自分のトレーニングに割く時間が増えたので、体は以前よりも健康になっているかもしれませんね。自宅にいる時間を有効活用し、オンライン英会話も始めました。

 

伊藤: 花岡さんは日本パラ陸上競技連盟の副理事長を務めています。選手たちはどうでしょう?

花岡: 選手によってそれぞれですね。“仕方ない”と受け止めている選手がいれば、不安を覚えている選手もいます。練習環境の確保すらままならないですから。“競技よりも命を守ることが最優先だ”と考える選手も当然いますね。

 

伊藤: 2020年大会を、自国開催だからこそ現役生活の一区切りとして捉えていた選手もいたと思います。

花岡: 大会開催が今年と来年では全く状況が変わってくると思います。経験豊富なベテラン選手たちは、対処能力があるとはいえ、年齢による衰えがないとは言えません。延びれば延びるほど、力が落ちていく可能性もある。一方、若手には有利に働くと思います。東京でパラリンピックが開催されることが決まった2013年から競技を始めた選手もいます。そういった競技歴が浅い選手たちにとっては競技力向上に充てられる時間が増えた。慌ただしく強化を進めてきた人が、少しクールダウンできることもプラスに働くと思います。

 

 コロナ禍をプラスに

 

二宮: 日本パラ陸上競技連盟としても1年の延期はプラスと捉えていますか?

花岡: ええ。これまで連盟内でも「組織をどう発展させていくか」という議論がありましたが、なかなかそこに着手できなかった。今は「この猶予を生かし、継続的に戦っていける組織にしていこう」と話しています。

 

二宮: パラアスリートの場合、持病を抱えている選手が多いため、新型コロナウイルスに対する不安は強いと思います。

花岡: 呼吸器系の障がいのあるアスリートは、発症した場合のリスクが高いですからね。それにどうしても介助者が付かなければいけない競技は、“三密”を避けられません。練習会場に行くだけでも、感染リスクがある。ひとりでトレーニングができない選手には大きなハンデとなっているでしょう。練習だけでなく生活のサポートも行っているコーチやトレーナーもいる。その点でも選手たちの負担は大きくなっていると思われるので心配です。

 

二宮: このコロナ禍は介助が必要な選手の日常生活にも影響を及ぼしていますか?

花岡: ええ。公共交通機関に頼らざるを得ない人は移動が困難になりますからね。他にも聴覚障がいのある人は皆がマスクをすると、口の動きが読めないという問題もあります。

 

二宮: なるほど。感染拡大防止のためにマスク装着は当たり前だろうと思ってしまいますが、聴覚障がいのある人からすればコミュニケーションを読み解くヒントがなくなるということですね。

花岡: ええ。今まで隠れていたことが表出してきていると思います。それが“これまでは知らなかったけど、今後は気を付けてみよう”とプラスの方向にいけばいい。障がいの有無に関わらず、“いろいろな生き方があるんだ”と知る機会になればと思っています。障がいにもたくさんの種類があります。人の生き方は多種多様です。戸籍上の性別は男性でも女性として生きる人もいれば、その逆もある。大事なのは“生き方の多様性”を認め合うこと。それを多くの人に伝えていきたいですね。

 

(後編につづく)

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花岡伸和(はなおか・のぶかず)プロフィール>

一般社団法人日本パラ陸上競技連盟副理事長。1976年3月13日、大阪府出身。プーマ ジャパン所属。1993年、高校3年時にバイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。1994年から車椅子陸上を始め、2002年には1500メートルとマラソンの当時日本記録を樹立した。2004年アテネパラリンピックに出場し、マラソンで日本人最高位の6位入賞。2012年ロンドンパラリンピックでは同5位入賞を果たした。同大会を最後に陸上選手としては引退し、ハンドサイクルに転向。現在は国内外のパラサイクリング大会に出場する傍ら、日本パラ陸上競技連盟副理事長および車いす競技強化部長なども務める。2016年には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程入学。2017年に同課程修了。講演活動のほかパラ陸上の国際大会などで解説を務め、普及にも尽力している。

 

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