新型コロナウイルスの感染拡大の影響により延期していたプロ野球の開幕が25日、6月19日に決まりました。開幕後も感染を防ぐために当初は無観客で行われ、また最大のリスクとされている選手の移動についても「できるだけ減らさなくてはいけない」(斉藤惇コミッショナー)としています。


 12球団代表者会議は、セ・リーグは首都圏(東京、神宮、横浜)とその他の地域(ナゴヤ、甲子園、マツダ)に絞り2週間ごとに集中開催する案、パ・リーグは1カード6連戦で実施する案を検討しています。いずれにしても"国難"とも言われる今季はこれまでにない開催スタイルになりそうです。

 

 さて、上にも書いたようにプロ野球と移動は切っても切れない関係です。それこそ移動中のエピソードは尽きません。たとえば、80年代、黄金期の西武は高知県で春季キャンプを張っていました。ある年、羽田から飛んだ飛行機が気流の影響でひどく揺れたことがありました。そのとき機内の様子を鈴木康友さんはこう述懐しています。

 

「プロ野球選手として数多く飛行機に乗っていますが、あのときほど揺れたことはなかった。機内では悲鳴があがっていたくらいですからね。金森栄治さんは"落ちろ落ちろ。そうすりゃキツい練習しなくて済むんだから"と言っていましたよ。私はトレードで入ったばかり、どんな練習が行われるんだろうと、そっちの方に驚いたくらいです。で、そんな大騒ぎの機内でさすがだったのが大田卓司さんです。揺れ始めた途端に缶ビールをプシッ、プシッと何本も空け"飲み納めや"とグビグビ。それですぐに眠ってしまいました。高知になんとか到着したとき機内で震えていた他の選手を後目に、大田さんは"なんかあったんか?"と涼しい顔をしていました。さすが仕事人という感じでしたね」

 

 セ・リーグでは最西に本拠地を置く広島も移動には苦労ばかりでした。広島や巨人で活躍したサウスポー・川口和久さんから聞いた話です。

 

「2軍時代、列車の普通車で大阪まで遠征していたときはそりゃあ疲れましたよ。1軍になればグリーン車や飛行機ですけど、それでも広島から遠征するにはどこも距離があります。最初のうちは"長いなー、疲れるなー"と思っていたんですが、そのうちに考え方を変えたんです。長い移動があるんだったら、せめてその時間を有意義に使ってやろうってね。本を読んだり、その後はDVDで映画を見たり。移動を楽しむようになってから、ストレスは感じなくなりましたね」

 

 日本では広島が25年ぶりに日本シリーズ出場を果たした2016年、広島と北海道日本ハムの本拠地間の直線距離約1000キロの移動が話題となりました。少しでも選手の負担を減らそうと、広島がチャーター機を用意したのは当時、話題になりました。一方、海の向こうのメジャーリーグでは西海岸と東海岸は直線距離にして約4000キロ、所要時間は約5時間。しかも最大3時間の時差があります。メジャーリーガーは日本では想像できないような移動をシーズン中に繰り返しています。

 

 広島から海を渡った黒田博樹さんは、西海岸のドジャース、東海岸のヤンキースで活躍しました。「移動」について以前、スポーツコミュニケーションズ編集長・二宮清純のインタビューでこう語っていました。

 

「僕は33歳になってメジャーリーグに行き、そこから7シーズン、39歳までメジャーで過ごしました。コンディションを整えながら1シーズンを通して移動をこなすのは本当にしんどかった。しかも日本のように週1の休みもなく、連戦が当たり前でしたからね」

 

--その過酷な環境に、どうアジャストしたのでしょう?
「良い意味でバカになろうと思っていました。時差を気にしたり、移動時間を気にすると"何時に寝なくちゃいけない。そして起きるのは何時で……"と余計なことを考えてしまう。それだけでストレスになってしまう。最初のうちはそうやっていろいろと考えていたんですが、途中から一切、そういうことは考えないようにしました。バカになって細かいことは気にしなくなり、気持ちが強くなりましたね」

 

 最後に日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄さんの言葉を紹介しましょう。

 

「自分の力で解決できないことは、流れに任せる----」

 

 1996年9月17日、クアーズ・フィールドの対ロッキーズ戦。雨の影響で試合開始が2時間遅れたことも何のその。ノーヒットノーランを達成した野茂さんならではの深い言葉です。

 

(文/SC編集部・西崎)


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