「いよいよ熱狂の日々が戻ってくる!」

 

 

 

 

 

 

 

 5月29日(金)、Jリーグは2月下旬以降中断しているJ1&J2リーグ戦の再開を発表した。また、当面は無観客での試合を行い、段階的に観客を入れるための準備を進めていくことも併せて伝えられた。

 

 愛媛FCが参戦しているJ2は、6月27日(土)からの再開となった。その再開初戦(第2節)での愛媛FCの対戦相手は徳島ヴォルティス。なんと! いきなりの「四国ダービー」となった(※結果は愛媛FCが4対3と逆転勝利)。

 

 ホーム(ニンジニアスタジアム)に徳島を迎える一戦となるが、前述の発表通り、リモートマッチ(無観客試合)であり、私たちサポーターがスタジアムで直接応援することは叶わない。

 

 更には「Jリーグ新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」により、ファン・サポーターの横断幕の掲出も禁止となっている。ホームスタジアムらしくスタンドを横断幕やフラッグで彩ることもできない。

 

 そういったこともあり、愛媛FC事務局では、この一戦において「オレンジメッセージプロジェクト」を行った。ファンやサポーターが愛媛FCオフィシャルウェブショップを通じ、購入した「オレンジメッセージポスター」をスタジアムの座席に掲出する企画である。それぞれのポスターには、その購入者が希望するメッセージも印字され、応募の総数に応じて大きな文字メッセージとなるように配置された。

 

 初の試みとなるが、当日ピッチ上にいた選手たちへ私たちサポーターの気持ちを伝えるためにもぜひ、成功させて欲しいプロジェクトだった。

 

 先日、地方新聞の紙面(記事)でも伝えられているので、既にご存知の方も多いと思うが、古くから愛媛FCサポーターとして尽力されてきた伊藤裕一さんが、2020年6月3日に51歳という若さで亡くなられた。

 

 少しだけ、昔話をさせていただきたい。それはまだ愛媛FCが四国リーグ(地域リーグ)に参戦していた頃の話。2000年2月6日、私の呼び掛けによって結成に至った愛媛FC初の公認サポーターズクラブ(ARANCINO・アランチーノ)。結成当時、構成員は12名という少人数の組織だった。

 

『もっとサポーター仲間を増やしたい』

『トップチームの話題を作りたい。(当時、マスコミの話題に上るのは愛媛FCユースチームの活躍が殆んど。JFL昇格を目指すトップチームの話題は少なかった)』などの思いから、2000年3月14日、愛媛FCサポーターズクラブの結成の報告とクラブ会員の募集を告知するため、愛媛県庁舎内の番町記者クラブにて記者会見を開いた。

 

 地域リーグに属する、いちチームの、いちサポーターの会見にも関わらず、各新聞社や各テレビ局、各ラジオ局の方など、大勢のマスコミが取材に来てくださり、様々なメディアが、私たちの会見を発信してくださった。その甲斐もあり、会見後、サポーターズクラブへの入会を希望する(20名近くの)方々から私の電話に問い合わせがあった。その内のひとりが(当時、松山市内に住まいを持ち、会社に勤められていた)伊藤さんであった。

 

 早速、私の家に来ていただき、お互いに色々な話しをして納得していただいた上で、サポーターズクラブに加わっていただくことになった。年代的に近いこともあり、彼とは話しが合ったし、直ぐに打ち解け合うことができた。

 

 四国リーグの2000年シーズンでは、代表やコールリードを務める私のことをサポートしてくれたり、四国内を一緒に(応援)遠征してくれたり、仕事も忙しかったと思うが、愛媛FCトップチームとアランチーノの活動を懸命に支えてくださった。

 

 公式戦がない平日の仕事帰りには、愛媛FCのクラブハウス(当時のクラブハウスは松山市井門町の南海放送サンパーク内)に寄って、伊藤さんと一緒にユースチームやトップチームの選手たちの夜間練習をクラブハウス2階の会議室から見学しつつ、お互いの夢を語り合ったり、「愛媛がJリーグに昇格したら……」など談笑したりすることが、当時の日常でもあった。また、オフシーズンには、私の家で新しいチャント(応援歌)を二人で「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら、深夜2時、3時頃まで掛かって完成させたりした。楽しく過ごした日々が懐かしい。

 

 JFL昇格後、応援のスタイルやサポーターとしての意見の相違から口論になったり、喧嘩をしたりすることも増えていったが、今となっては良き思い出でもある。

 

 お互いに別組織として活動を開始した後も、会場で顔を合わせれば、熱い握手で励ましあう戦友でもあった。考え方は違っていても、愛媛FCを想う気持ちや将来の目標は同じところにあったからだろう。

 

 それにしても、自分よりも年下の友人や仲間が逝ってしまうのは、とても辛く感じる。またひとり、愛媛FCに携わり、礎を築いてくれた恩人と、お別れしなければならず残念で仕方ない。

 

 それでも私たちサポーターは未来を信じ、前を向いて歩み続ける。私も彼の想いを忘れることなく胸に刻み、これからも愛媛FCを熱く応援・支援していきたいと思っている。

 

「伊藤裕一さん、これまで愛媛FCを支えていただき、本当にありがとうございました。長い闘病生活も大変だったと思います。ゆっくり休んでください。心より、ご冥福をお祈り致します」

 

<松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール>

1967年5月14日、愛媛県松山市出身。愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。

 


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