東京五輪・パラリンピック組織委が発表したスケジュールによると、五輪とともに1年延期となったパラリンピックの開会式は8月24日、私が個人的に注目している自転車のロードは31日から9月3日まで行なわれる。そこにイタリアの英雄の姿は、あるのか…。

 

 神は乗り越えられない試練は与えない、などと言ったりするが、ここまでくれば試練どころか拷問である。第一報に接した瞬間、私は絶句した。いったい彼が何をしたというのか。

 

 元F1ドライバーでパラリンピックの男子ハンドサイクルで計6つのメダルを獲得したアレッサンドロ・ザナルディがイタリア・ピエンツァ近郊でのレース中、事故に遭ったのは6月19日のことだ。報道によると下り勾配で大型トレーラーと衝突し、頭蓋と顔面を骨折。7月末までに既に4回の手術を受けているという。

 

 もし東京パラリンピックが延期されていなかった場合、件のレースに参加していたかどうか…。不運としか言いようがない。

 

 F1からカート(現インディカ―)に戦いの場を移したザナルディが両足を失ったのは2001年9月。悪夢の場所はドイツ・ラウジッツ。トップでピットインを終え、レースへ戻ろうとして出口付近でスピンした。そこに後続車が突っ込み、マシンは大破した。5時間に及ぶ大手術の末、一命を取り留めたが、意識を取り戻したザナルディには残酷な現実が待っていた。

 

 車いす生活になってからも、レースに挑み続けるのがザナルディの「不屈」たる所以だ。事故から8年後の09年、パラサイクリストに転向し、12年ロンドンでは金2つ銀ひとつ、16年リオジャネイロでも金2つ銀ひとつ。今ではパラリンピックの顔のひとりである。

 

 ハンドサイクルにおいて、ザナルディは運動機能障害H5のクラスに属する。ハンドサイクリストの永野明はザナルディの強さを、こう分析する。「H1から4まではシートに寝そべるタイプ。5は座位。下半身を失ったザナルディは正座のような状態で座ることができる。必然的に目線が高くなるので車の運転と比べても違和感が少ないのでは…」

 

 現地の報道によると「現在の状態は安定している」とのことだが、復帰については絶望的との見方が支配的だ。それでも不死身のザナルディなら…。「ひとりのファンとして、どんなかたちでもいいから東京での雄姿を見てみたい」。永野は淡い期待を寄せている。

 

<この原稿は20年8月5日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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