伝統とは博物館の中の展示品ではあるまい。刷新し、受け継がれなければ、それは過去の遺品である。

 

 6日、甲子園での阪神戦で、巨人・原辰徳監督が0対11となった8回裏1死から内野手の増田大輝を「敗戦処理」としてマウンドに送った采配が物議をかもしている。

 

 コロナ禍によりスケジュールがタイトな今季、大差のついた試合にクロスゲーム用のリリーフ投手を投入したくない、という指揮官の判断は理解できる。OBからは「巨人軍はそんなチームじゃない」という声も上がったようだが、では他球団ならやってもいいのか。自尊心とは似て非なる選民思想が見え隠れする。

 

 以前にも小欄で書いたことがあるが、V9巨人の指揮官・川上哲治ほど抱いていた印象とナラティブ(口述)から見えてくる実像が180度違った人物はいない。「私は巨人の監督やコーチが生え抜きでなきゃいかん、なんて思っとらんからね」。初めてのインタビュー、そう言って川上は機先を制し、続けた。「監督の器でさえあれば、誰がどこの監督をやったって構わん。外部スタッフにしても、当初は随分、批判がありましたよ。(他球団出身の)荒川博や牧野茂をコーチに呼んだときにはOBから“巨人にはこれだけ(有能な)人間がいるのに、外から連れてくるとは何事だ!”ってね…」

 

 勢い、話は“8時半の男”宮田征典に及んだ。V9は1965年にスタートするのだが、この年、宮田は主にリリーフとして20勝(5敗)をあげている。まだセーブという公式記録のない時代だ。現行のルールを適用すれば22セーブである。

 

 川上によれば、日本で初めてとも言える投手分業制も当初はOBから散々批判されたという。「投手は先発完投が当たり前の時代。リリーフを使って逃げ切ることが卑怯に見えたんだな。“川上の野球には品がない”という者もおりましたよ」

 

 さすがに今、継投策を「品がない」と批判する者はいないだろう。しかし、半世紀以上前は、そうではなかったのだ。

 

 6日の夜、私が最も感銘を受けたのは敗戦処理という汚れ役を無難にこなした増田の言葉である。「困ったら助け合うのは当たり前です」。川上が土台を築いた「投手分業制」に野手まで組み入れた原。それに応えた増田。批判覚悟の野心的な実験の果実。テレビを消さなくてよかった。

 

<この原稿は20年8月12日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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