佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン)が、インディアナポリス・モータースピードウェイで行なわれた第104回インディ500で優勝した。佐藤は3年ぶり2度目のインディ500制覇。燃費やタイヤの消費など全て計算通りのレースだったという。F1から転身し、ビクトリーレーンでミルクを一気飲みした3年前、日本人初のインディ500チャンピオンに輝いた時の原稿を振り返ろう。

 

<この原稿は「金融財政ビジネス」2017年7月6日号に掲載されたものです>

 

 101回の歴史を誇るアメリカ最大の自動車レース、インディ500で初の日本人優勝者が生まれた。5月28日、元F1ドライバーの佐藤琢磨が200周の激戦を制し、トップでチェッカーフラッグを受けたのだ。

 

 F1から転身して8度目の挑戦。悲願を達成した佐藤はコクピット内でガッツポーズを繰り返し、勝者だけが立ち入りを許される聖域・ビクトリーレーンで瓶入りのミルクを一気飲みした。勝者はシャンパンではなくミルクを飲む。これがインディ流なのだ。

 

 満面の笑みを浮かべて佐藤は語った。

「ずっと夢に見ていたことなのでとてもうれしいです。僕ひとりの力で勝ったのではなく、チーム全員の協力があってここに立つことができました。ミルクの味は最高でした」

 

 佐藤は昨年オフ、4年間所属したAJフォイト・レーシングからアンドレッティ・オートスポーツへ移籍した。アンドレッティは過去インディ500を4度制し、シリーズチャンピオンを4人送り出している名門チームである。今年のインディ500には佐藤を含めてアンドレッティから合計6人のドライバーがエントリーした。各ドライバーや担当エンジニアがデータを共有して、マシンセッティングを迅速に進める。これがアンドレッティの強みである。

 

 いざコースに出ればドライバーの腕だけが頼りに映るモータースポーツだが、実際にはドライバーをサポートするエンジニアやメカニックを含め、組織で戦うチームスポーツである。以前、インタビューした際に佐藤はモータースポーツの魅力についてこう語っている。

 

「最終的にはドライバーがコクピットでレースをしますが、1人じゃ本当に何もできない。たくさんのスタッフがいて、車をセットアップするエンジニアがいて、その指示通りにセッティングをするメカニックがいて、初めてレースができる。仲間とつくり上げていくという作業があって、試行錯誤の連続の末に成功があるんです。だからこそ成功した時のうれしさは生半可ではないんです」

 

 今年のインディ500、勝負は残り5周、土壇場までもつれにもつれた。195周目、トップに立った佐藤に対して2位のエリオ・カストロ・ネベスが執拗にアタックを仕掛ける。

 

 佐藤には苦い思い出があった。12年のインディ500、ダリオ・フランキッティとトップ争いをしながらも残り1周でクラッシュして勝利を逃したのだ。

「インディは最後の最後まで勝負の行方がわからない。本当は残り5周の時点ではまだトップに出たくなかった。もっと勝負は後だと思っていたし、スタッフも"何してんだ"と驚いたことでしょう。でも残り4周、3周、2周とトップをキープできて、そして迎えた最終ラップ。もうバックミラーは見ませんでした」

 

 レース中の最高速が時速350キロを超すインディ500ではサーキットの高所から後続車の位置を知らせる"スポッター"と呼ばれるスタッフがいる。「エリオ、ライト(右にいる)。ハーフカー(半車差)、ワンカー(1車差)……」。残り1周、佐藤はこのスポッターの声を頼りに前だけを向いてチェッカーに向けて奮走した。

 

 栄光のチェッカーを受けた後、佐藤はコクピットで無線のスイッチをオンにした。「サンキュー、マイケル」で始まった交信はチームスタッフ全員に感謝を伝え終えるまで続いた。

 

 佐藤はこの勝利で約2億8000万円(245万8129ドル)の賞金を手にした。使い道を聞くと「全部が全部、僕のものになるわけじゃないんですよ」と笑ってこう続けた。「何に使うかはまだ決めてませんが、でもチームスタッフ全員に何か記念になる物を贈りたい」

 

 インディ500の勝利で佐藤は年間ランキングでも3位につけた。インディ500制覇を果たした佐藤が次に狙うは日本人初となるインディカーシリーズ年間王座だ。強豪チームにシートを得た今、それも夢ではない。


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