世界と戦うためには、我慢強さが必要<前編>

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<この原稿は「第三文明」2016年7月号に掲載されたものです>

 

二宮清純:なでしこジャパンの監督、お疲れ様でした。

 

佐々木則夫:2007年からなので、約9年。女子サッカーはW杯の翌年に五輪があり、その間にそれぞれの予選や東アジアカップなどがあります。そういう意味では休む間もなくアッという間でした。

 

二宮:11年のドイツW杯で優勝、翌年のロンドン五輪は銀メダル、15年のカナダW杯では準優勝。これはすごい成果だと思います。

 

佐々木:ありがとうございます。

 

二宮:2007年の監督就任以前は、女子代表チームのコーチをされていたわけですが、監督を引き継いだとき、チームはどんな状態でしたか。

 

佐々木:前任の大橋浩司監督が、「個の質を上げなければ世界では通用しない」というチームづくりをされていたので、選手個々の質は高かったと思います。私はそこに、連携・連動して戦うスタイルや、ゾーンディフェンスの強化によるコンパクトな陣形の戦い方を取り入れて、チームづくりをしていきました。

 

二宮:優勝したドイツW杯についてお聞きしますが、当時は優勝候補というより、ダークホース的な存在でした。にもかかわらず、あれよあれよと勝ち進み世界を驚かせましたが、「これはひょっとすると……」と手応えを感じたのはどのあたりですか。

 

佐々木:予選リーグを戦うなかで成長していったのでなんとも言えませんが、ターニングポイントになったのは、第3戦のイングランド戦です。

 

二宮:2勝0敗で迎え、0―2で負けた試合ですね。

 

佐々木:ええ。実はあのとき、選手間にさまざまな意見の対立や葛藤があったんです。

 

二宮:具体的に言うと?

 

佐々木:攻撃陣と守備陣に、それぞれの言いぶんがありました。守備陣からすれば、「攻撃陣も前線でもっと守備をしてほしい」と考えていたし、攻撃陣からすれば「守備陣はもっと速く走って攻撃をサポートしてよ」と思っていたわけです。もちろん全員攻撃・全員守備が我々のサッカーなので、攻から守へ切り替えも、守から攻への切り替えも、どちらも重要なのですが……。

 

二宮:攻める側と守る側、同じ局面でも視点が違うと見え方が全然違うんでしょうね。

 

佐々木:そうなんです。どちらがどうと言い合っても前には進めないし、どちらも重要なことですから。結果、とにかく攻守の切り替えを素早くして全員攻撃・全員守備でやっていくしかないということで選手たちをまとめて、ドイツ戦に臨みました。

 

二宮:そういう選手同士のぶつかり合い、本音の話し合いが、準々決勝のドイツ戦での勝利につながったわけですね。

 

佐々木:そうかもしれません。チームとして、“ひとつの難局を乗り越えた”という雰囲気が生まれ、チームが大きく変わりました。

   

 アメリカの緩みを知っていた

 

二宮:そのドイツ戦ですが、延長戦の末の勝利(1―0)でした。優勝候補のドイツは開催国でもあり、当初から厳しい戦いになると予想されていました。

 

佐々木:実力的には3回戦って1回勝てるかどうかの相手です。でも、開催国であるがゆえにプレッシャーを感じていたのかもしれません。動きも鈍く感じられました。日本としては、しっかり守ってカウンターを狙うという戦い方だったので、ドイツは点が入らなくて焦り、結果として攻撃が単調になっていましたから。

 

二宮:なるほど。いずれにしても、劣勢と見られていたドイツ戦に勝利したことは、大きかったでしょうね。

 

佐々木:とても大きな自信になりましたし、彼女たちをたくましくしてくれました。

 

二宮:準決勝のスウェーデン戦は3―0と会心の勝利。勢いに乗って決勝のアメリカ戦へと進みました。ただ、アメリカにはそれまで一度も勝ったことがありませんでしたよね?

 

佐々木:W杯の前にも2回アメリカと戦いましたが、2試合とも負けました。でも、それほど圧倒されたという印象はなかったんです。特に、アメリカは1点取ると(攻撃が)トーンダウンする傾向があったので、仮に先制点を取られても委縮する必要はないと選手たちもわかっていました。

 

二宮:実際、試合展開はそのとおりになりました。アメリカが1点先制すると日本が追いつき、延長戦で追加点を取られたときは「もうダメか」とあきらめかけましたが、残り時間わずかで澤穂希選手の劇的なゴールが決まりました。その時点で、もう日本が勝ったような印象を受けました。

 

佐々木:アメリカとしては“勝った”と思ったときに同点ゴールされましたからね。

 

二宮:そして最後はPK戦で勝利して、感動的な初優勝となりました。日本は東日本大震災の直後ということもあり、うれしいニュースに沸きかえりました。帰国したときの熱狂ぶりには驚かれたでしょう。

 

佐々木:ドイツ滞在中も、日本が盛り上がっていることは聞いていましたが、帰国したときの反響は想像以上でした。

 

二宮:なるほど。選手たちにも“被災地のために”との思いは強かったんでしょうね。

 

佐々木:選手たちは、仕事や学校が終わったあとに集まってナイターで練習することが多かったので、計画停電で練習ができないなど影響はありました。だからなおさら、世界に対して日本のがんばりをアピールしたかったし、サッカーを通して日本の皆さんに喜んでもらいたいと思っていました。

 

(後編につづく)

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