9月12日に予定されていたボクシングの元世界統一ヘビー級王者マイク・タイソンのカムバック戦が11月28日に変更されたのは、本紙によると収益増を目論むタイソン側の要求によるものだという。対戦相手のロイ・ジョーンズJr側は予定変更で生じる損失の補償を求めているというから、話は穏やかではない。交渉次第では、このまま流れてしまうかもしれない。

 

 それでもいいと私は考えている。いや、その方がいい。いくら12オンスのグラブを用いてのエキシビションとはいえ、タイソンはリングを去ってから15年も経つ。今回はチャリティー色の強い一戦だが、それでもまわりの目には名声を切り売りしているように映るだろう。時折、顔をのぞかせるタイソンの気まぐれも心配だ。

 

 タイソンにインタビューしたのは、今から30年前のことだ。場所は先方が指定してきた都内の高級ホテルのスイートルーム。タイソンは東京ドームでジェームス・バスター・ダグラスの挑戦を受けることになっていた。日本ではトニー・タッブス戦に次ぐ2度目の試合だった。

 

 タイソンは「キャンプ・コーディネーター」という肩書きのジョン・ホーン、ローリー・ホロウェイを伴って部屋にやってきた。2人とも高価な指輪、時計、ブレスレットを身につけていた。30分のインタビューを終え、テープを起こす。愕然とした。ノイズにタイソンの甲高い声が、ほとんどかき消されてしまっているのだ。原因はすぐにわかった。取り巻きたちの宝飾類がからみつき、こすれ合う、文字通りの“不協和音”だった。

 

 師であるカス・ダマト、ダマトの盟友ジム・ジェイコブスが相次いで他界、トレーナーのケビン・ルーニーを追い出したあたりから、タイソンの転落は始まる。ビル・ケイトンからマネジメント権を剥奪したドン・キングが用意したスタッフは、失礼ながら蜜(タイソンマネー)に群がるアリのように映った。インタビューから数日後、タイソンはダグラスに粉砕された。

 

 史上最強にして最高のヘビー級ボクサーは誰か。私はムハマド・アリを信奉する者だが、こと“最大瞬間風速”という点ではタイソンの右に出る者はいなかった。だが輝いていたのはデビューから4年間くらい。鉄人からブリキへ。願わくばタイソンにはミソロジー(神話)の世界の住人でいて欲しい。

 

<この原稿は20年9月16日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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