ボクシング好きの読者は要求度が高い。深く狭い話を好む。2週間前の小欄でマイク・タイソンについて書いたところ、なぜエキシビションマッチ(9月12日から11月28日に延期)の対戦相手であるロイ・ジョーンズJrには触れないのかと、何人かの知人からお叱りを受けた。

 

 リクエストに応えるわけではないが、今回はロシアのパスポートを持つ元4階級王者について書く。ただし今から32年前、1988年ソウル五輪での話だ。

 

 ボクシングに“疑惑の”という枕詞(まくらことば)付きの判定は腐るほどあるが、これは“疑惑”の範疇を超えていた。五輪史に刻まれた汚点ですらある。

 

 アマとプロとでは判定の基準が異なる。プロの試合に慣れると、首をひねりたくなるような判定でも、アマの基準に照らせば、何ら問題はない、ということがよくある。だが、この試合の判定については、どんな有能な弁護士を味方につけても、正当化するのは不可能だろう。

 

 ライトミドル級の決勝は米国のジョーンズと韓国の朴時憲の対決となった。スピードとテクニックで上回るジョーンズは1回から試合を支配し、2度もダウンを奪った。有効打も86対32とジョーンズが圧倒した。ところが判定は3対2で朴。私はこの試合の目撃者のひとりである。観客席からはブーイングが起き、米国人の観客からは抗議を伴った「USAコール」が飛び出した。現地で知り合った韓国人記者も一様に異議を唱え、翌日の朝鮮日報の社説には「五輪主催国の体面は地に堕ちた」との見出しが躍った。ことスポーツにおいては「大本営発表」的な報道が常態化している韓国のメディアでも、さすがに正視できなかったと見える。

 

 案の定というべきか、後に5人の審判のうち3人が韓国側に買収されていたことが明らかになる。そのうちのひとりは「どうせ米国の選手が勝つのだから、自分ひとりが韓国の選手を支持しても大勢に影響はないと思った」と白状している。もう何をかいわんやだ。

 

 大会後、不正が証明されたことでジョーンズにはIOCから金メダルのレプリカが贈られた。こんなものをもらったところでうれしくも何ともなかったろう。またジョーンズは後に朴から謝罪を受けたことも明らかにしている。金メダルを盗んだ男――。栄光は一瞬だが、汚名は一生付いて回る。国威発揚のための捨て駒。勝者もまた犠牲者だった。

 

<この原稿は20年9月30日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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