犬が人間を噛んでもニュースにはならないが、人間が犬を噛んだらニュースである――。米国の小説家ジェシー・L・ウィリアムズの小説『盗まれたストーリー』に出てくる一説だが、その伝で言えば、これは大ニュースだろう。

 

 5年ほど前、インドで人間がサルに殺害された。噛みつかれたわけでも引っかかれたわけでもない。殺害方法は、驚くことに(レンガも含む)投石だったのだ。調べると、前もって石を集めていたヤカラもいた。人間なら凶器準備集合罪である。

 

 個人的に気になったのは石の握り方だ。フォーシームかツーシームか、はたまた別の握りか。調査結果が示されていない以上、わし掴みだったのではないかと推察される。少なくとも、現時点でサルが“変化球”を投げたという報告はない。

 

 オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガによると<遊びは文化よりも古い>(『ホモ・ルーデンス』中公文庫 ホイジンガ著 高橋英夫訳)。文化のなかに遊びがあるのではなく、遊びとして発生したものが文化をもたらしたというのだ。ちなみにホモ・ルーデンスとはラテン語で「遊ぶ人」を意味する。

 

 少年の頃、初めてボール(軟式)を握った日のことは今でも覚えている。握りを変えたり、ひねったら、ボールはどう変化するのだろう。キャッチボールの相手役の父親が「ちょっと曲がったな」と首をかしげた夜は眠れないほどうれしかった。俗にいうションベンカーブなのだが、人生初の発明品が変化球だったという御仁は少なくあるまい。

 

 その意味で日本人初のサイ・ヤング賞が有力視されるダルビッシュ有(カブス)は、変化球オタクの神であり、球界きっての「ホモ・ルーデンス」である。彼は10種類超の変化球を、まるで打者の反応を楽しむように投げ分けている。

 

 とりわけ今季、目を見張ったのが昨年夏に移籍してきたクレイグ・キンブレルから教わったナックルカーブだ。人差し指を1本突き立てただけで、落差も軌道もこれほど変わるのか。まさに「魔球」の領域に属するボールである。

 

 ホイジンガは<勝つ>という行為を「遊びの終わりにあたって、自分が優越者であることが証明されること」と述べている。ダルビッシュの場合、計算上の優越者である最多勝より複数の見巧者によって選出されるサイ・ヤング賞が、その証明となる。

 

<この原稿は20年10月7日付『スポーツニッポン』に掲載されたものを一部再構成しました>


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