アマ・プロを通じて「怪物」の異名をほしいままにした江川卓は、父親の仕事の関係で少年時代を静岡県の佐久間ダム近くの小さな集落で過ごした。

 

 遊び場は諏訪湖を水源とする天竜川。向こう岸は崖になっており、そこを目がけて来る日も来る日も小石を投げ続けた。

 

 低学年の頃は20~30メートルで失速し、小石は水面にポションと消えた。崖までの距離は、ゆうに100メートルはあり、大人でも川の真ん中あたりが精一杯だった。

 

 それでも少年は諦めなかった。飛距離を伸ばすには、揚力を利用するしかない。力任せではダメだと気付き、指のしなりを利用して小石にスピンをかけたのだ。すると徐々に小石は対岸に近づき、ある日、少年は「コトン」という心地良い響きを聞いた。後に甲子園を震撼させる「浮き上がるストレート」の原点である。

 

 江川は語ったものだ。「スピンをかける時は(指を)引くイメージ。これによってギューンと回転をかけるんです。川の向こうに届かせるまでに3年かかった。それが子供の頃、唯一、夢中になった遊びでした」

 

 2週間前にも引いたがオランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』によると<遊びは文化よりも古い>。遊びこそが文化の揺籃なのだ。

 

 予想されたこととはいえ、子供の遠投能力の低下は目を覆うばかりである。スポーツ庁が2019年度に実施し、18日に公表した「体力・運動能力調査」によると、11歳男子のソフトボール投げの距離は26・65メートル。スポーツ庁によると、ピークは1971年度の35・40メートル。それに比べると約25%の減少である。9メートル近くも短くなっているのだ。

 

 もちろん遠投能力の低下が、ただちに日常生活に不便をもたらすわけではない。しかし、このまま何も手を打たないでいると、いずれこの国の子供たちはモノを投げられなくなってしまうのではないか。そんな危機感を覚えてしまう。やがて、それは野球の未来に深刻な影響をもたらすであろう。

 

 ボールを投げる前に、まずモノを投げることの楽しさを子供たちに実感してもらう。そのために大人たちは何をすべきか。隗より始めよ、ではないが河川敷の石投げ大会はどうだろう。記念すべき第1回大会は天竜川での江川卓杯。主催はNPB、後援は静岡県。大真面目な提案である。

 

<この原稿は20年10月21日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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