「マラソンって、沿道にこれだけ(大勢の)人がいるんですね」。あっけらかんとした口調だった。初マラソン初優勝。大方の予想どおり、北京行きの最後の搭乗チケットは激戦の名古屋を制した中村友梨香の元に届けられた。

 無欲の勝利だった。しかし無欲だけで勝てるほど五輪の42.195キロは甘くない。
 初マラソンで五輪出場権を獲得した女子選手は過去に2人いる。バルセロナ五輪代表の小鴨由水とアトランタ五輪代表の真木和だ。

 当時、20歳だった小鴨は初マラソン(大阪国際)で日本最高を記録、一躍、シンデレラとして脚光を浴びた。しかし翌年のバルセロナ五輪は29位と惨敗。経験不足が指摘された。

 後日、小鴨は私にこう語った。「会う人ごとに“金メダルを期待します”と言われ、これまで感じたことのないプレッシャーを感じてしまった。自分は何ひとつ変わっていないのに、まわりの私を見る目が変わってしまった。それを受けて私の方も“走りたい”から“走らなければいけない”と責任をひとりで抱え込むようになってしまった。自分を見失ってしまったんです」

 真木和が名古屋で輝いたのは今からもう12年も前のこと。トラックから転向した真木は初マラソンでバルセロナ五輪優勝のワレンティナ・エゴロワ(ロシア)を一蹴し、最後の代表切符を手にした。「真木はスピードがあるし、未知の可能性を秘めている」(桜井孝次アトランタ五輪強化特別委員長=当時)と高い評価を得た。
 しかし、アトランタ五輪ではレース序盤に右足を痛め、終盤、盛り返しはしたものの12位に終わった。ある関係者は「これが経験の差だ」としたり顔で言った。

 敗因は経験不足――。これほどわかりやすい説明はない。と同時にわかりにくい説明もない。彼女たちに経験が不足していることは自明であり、後になってそれを指摘するのはあまりにも非生産的すぎる。

 経験があるに越したことはない。しかし、ないならないなりに勝つ方法を考えるべきだ。水泳の岩崎恭子(バルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎ金メダリスト)がそうだったように「経験不足」や「無欲」をアドバンテージに転化できる方法を探る方がはるかに建設的だ。「怖いもの知らず」も長所のひとつだと考えたい。

<この原稿は08年3月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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