「キラー・カーン」のリングネームで活躍した元プロレスラーの小沢正志が10月に起こした自転車によるひき逃げ事件(道交法違反)で書類送検された。被害女性が重傷を負っているため、重過失傷害の容疑もかけられている。
それにしても、まさか新聞の社会面でキラー・カーンの名前を目にするとは思わなかった。もう73歳だ。
小沢が名をあげたのはリングネームをキラー・カーンに改め、“モンゴルからの刺客”に変身してからだ。
1980年代にはニューヨークに進出し、ボブ・バックランドの持つWWFヘビー級王座にも挑戦している。そして81年4月、ニューヨーク州ロチェスターで、あのアンドレ・ザ・ジャイアントの足をへし折ってしまったのだ。
実際には骨折の原因は試合中のアクシデントなのだが、事故が事件になるのがプロレスである。
本人の著書(“蒙古の怪人”『キラー・カーン自伝』辰巳出版)によると、コーナー最上段からニードロップを見舞う際、<俺は軌道を変えようと試みたが、アンドレが思わぬ方向に動いてしまったので、俺の膝が彼の足首に当たってしまったのだ>という。手練れのプロレスラーでも、こういうことはあるのだ。
それでも、ヒールにとって“リング禍”は勲章である。小沢は「アンドレの足を骨折させた男」としてヒール人気を不動のものとした。骨折といっても、ヒビ程度だったというが……。
事故が事件に――。スタン・ハンセンのケースもそうだ。1976年4月、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)のリングで、WWWF王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦したハンセンは汗で手を滑らせボディスラムに失敗、受け身を取り損なったサンマルチノは頭から落ち、首の骨の一部を損傷してしまったのだ。
当時のハンセンはパワーはあるが不器用で、レスラーとしてはまだまだ未完成だった。
ところがMSGの帝王の首を“へし折った”ことでヒールとしての格付けはシングルAからトリプルAにまで上昇し、新日本プロレスではアントニオ猪木の好敵手の地位を得たのである。
しばらくしてサンマルチノの首折りは得意技のウエスタン・ラリアットによるものと喧伝されるようになり、この技を通じてハンセン=凶暴とのシーニュ(記号)が形成されるに至るのである。
悪名は無名に勝る――。プロレスはそれを地で行く世界である。
<この原稿は『漫画ゴラク』2021年1月8日・15日合併号に掲載されたものです>
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