英国の「ロイター」通信が報じるところによると、11月25日に急逝したサッカー元アルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナが、1000ペソ紙幣で復活すると言われているという。

 

 

 1000ペソは日本円で約1280円。日本国内のみならず、世界中から紙幣の買い手が殺到するのではないか。

 

 ちなみにFIFAが2002年12月に発表した「20世紀最強選手」の選考委員会部門での投票結果において、72.75%と4分の3近い票を得て堂々の1位に輝いたのが“神様”ペレ(ブラジル)。ところがインターネット部門ではマラドーナが53.6%で、18.53%の2位ペレを圧倒した。すなわち一般庶民はマラドーナを支持したのである。

 

 米国ではベトナム戦争への徴兵を拒否し、王座を剥奪されながらも復活を果たし、勝ち目がないと言われながらもジョージ・フォアマンをキンシャサで倒したモハメド・アリを「フォーク・ヒーロー」と呼ぶが、サッカーの世界ではマラドーナこそが「民衆の英雄」なのだ。

 

 86年メキシコW杯でのイングランド戦勝利を、多くのアルゼンチン国民は“フォークランド紛争”に対する復讐劇という文脈でとらえた。

 

 またナポリでの2度のスクデット獲得(86~87、89~90)は、裕福なイタリアの北部のまちミラノやトリノを本拠とするミランやインテル、ユベントスに辛酸を舐めさせられ続けたナポリ市民を屈辱から解き放つものであり、それによりマラドーナは“ナポリの王様”と称えられた。

 

 反権力の闘士――これはアルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラの相貌を右腕に彫り込んでいたことでも明らかだろう。

 

 ドイツ・ブンデスリーガで日本人として初めて活躍した奥寺康彦が、マラドーナと初めて同じピッチに立ったのは87年1月24日(東京・国立競技場)である。奥寺は日本選抜、マラドーナは南米選抜のキャプテンを務めた。

 

 奥寺が何よりも驚いたのは猛牛のような突進力だった。

「よくマラドーナのドリブルを華麗だという人がいるけど、そうじゃない。直線的で野性味たっぷりなんだ。足は丸太ん棒のように太く、体をぶつけても倒れない。彼がボールを持つと誰もとれなかった」

 

 ヴェルダー・ブレーメン時代の監督オットー・レーハーゲルは強豪との試合前、こう言って奥寺たちを鼓舞したという。

「心配するな。マラドーナはいないんだ」

 

 DIOS(ディオス=神)。アルゼンチンではIとOが数字の「10」にかわる。マラドーナの背番号だ。

 

<この原稿は『漫画ゴラク』2021年1月22日号に掲載されたものです>

 


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