昨季、埼玉西武ライオンズは26年ぶりのBクラス(5位)に転落した。その再建を任されたのが前2軍監督の渡辺久信だ。
 渡辺監督は西武時代、6度の日本一と10度のリーグ優勝を経験している。
 投手として1986年(16勝)、88年(15勝)、90年(18勝)と3度、最多勝に輝いている。工藤公康、郭泰源らとともに西武の黄金期を支えた。

 若い頃はストレート自慢の本格派としてならした。コントロールはよくなかったが、荒れ球が逆にバッターを困惑させた。
「ロッテ時代の落合(博満・現中日監督)さんには、ほとんど打たれた記憶がありません。配球を読んで打つタイプの人だから、僕のボールは的がしぼれなかったんでしょう」
 現役引退後は、コーチ修行のため台湾に渡った。西武時代のチームメイト、郭泰源に誘われたのがきっかけだった。

 ところが、予期せぬ事態が待っていた。投手力の弱さを補うため、監督から現役復帰を命じられたのだ。
 渡辺が所属していた台湾職業棒球大聯盟というリーグは、本人によれば「日本の2軍よりも少し下」のレベル。抑えるのは簡単だった。

 1年目の99年は18勝7敗、防御率2.34、00年は15勝8敗、防御率2.47。あまりにも監督が自分を頼りにするため「僕のことはいいから若い選手を育てましょうよ」とたしなめ、01年はリリーフに転向した。
「実際に自分がマウンドに立つことで、選手たちに伝えたいことを伝えたという面もある。伸び悩んでいるサイドスローの投手にアドバイスするため、実際に僕が横から投げてみせたこともあります」
 台湾での悪戦苦闘の3年間が、渡辺を一回り成長ささせたことは想像に難くない。途中からは通訳なしでインタビューに答えられるようになったともいう。

 1965年8月生まれの42歳。現在、12球団の監督の中では最年少だ。
 ちなみに東北楽天・野村克也監督は72歳、福岡ソフトバンクの王貞治監督は67歳。二人から見れば渡辺はまだ“鼻たれ小僧”だろう。
「逆に思いっきりやれるからいいですよ。僕もチームもチャレンジャーですから」
 と渡辺。“荒れ球”を武器にした現役時代のように、“掟破り”の采配で浮上を狙う。

 ヘッドコーチは69歳の黒江透修。作戦参謀として長嶋茂雄、近藤貞雄、広岡達朗、森祇晶、王貞治らを支え、現役時代も含めて13度の日本一を経験している。
 その黒江が言う。
「若いけど監督はしっかりしてますよ。僕が来た以上、息子のような監督を男にしてやりたい」
 昨季まで主砲として活躍していたアレックス・カブレラ、和田一浩が相次いで移籍した。二人合わせて45本塁打の穴をどうやって埋めるのか。
 投手出身の若手監督は、チーム再建のカギは“マウンドにある”と考えている。

<この原稿は2008年3月9日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから