――ところで、柔道の高段者になると、組んだだけで瞬間に相手の実力が測れる、とよく言われます。古賀さんほどの達人になると、皮膚が触れただけでも分かるんじゃないですか。

古賀稔彦: 皮膚が触れたというのはともかく、組んだだけで相手の実力を読み取ることができなかったら、その人は一流じゃないですね。僕は相手の気持ちのレベルまで分かりますよ。オリンピックの2回戦で、中国の石承勝という選手と当たりました。この選手には前年の世界選手権で僕が一本勝ちしているんです。当然相手は僕がケガをしているのを知っていたはずなのに、顔を見ると闘志のかけらも見えない。相手は組み合っても“投げよう”という意志がなく、“逃げよう”とするだけなんです。これじゃ僕に勝つことはできない。闘う前から勝負は決まっていたようなものですね。

 

<この原稿は『月刊現代』(講談社)1992年12月号に掲載されたものです>

 

――本家意識があるのか、日本選手は一本を取るための技を仕掛けますが、外国の選手の中には“掛け逃げ”をする者がたくさんいますね。これは柔道の魅力を損なうものだと思いますが……。

古賀: 総じて審判は日本の選手には厳しいですね。しかし、今後“掛け逃げ”は厳しくチェックするという方針が確認されたので、少しずつではありますが、柔道のよさが復活するのではと期待しています。

 

――さて柔道の真の魅力は、嘉納治五郎の時代から今に至るまで“柔よく剛を制す”あるいは“小よく大を制す”にあると思います。ところが現実問題として、体の小さい人が大きい人に勝つのは至難の業に近い。そこで理屈とは知りつつも、私たちは古賀さんに夢を託してしまうわけです。

古賀: 昔はそう極端に大きな人はいませんでした。ところが今や120キロ、130キロの選手なんてザラですからね。実際、軽量級の選手のほとんどが「大きい人に勝つのは無理だろう」と考えていると思うんです。しかし、思い切ってぶつかって何とか倒してやろう、何とかして勝ってやろうという気持ちが常にあれば、本当に勝てる時だってあるわけですよ。また、そういう気持ちを常に持っていないと、小さな選手は成長しない。

 

 小川に衝かれた“一瞬の妥協”

 

――その意味で、90年の全日本選手権は興味深い試合でした。古賀さんは71キロ以下級の選手として初めて決勝に進出し、95キロ超級、無差別級の世界チャンピオンである小川直也選手と相対しました。結果は、惜しくも足車で一本負けしたわけですが、場内の拍手は敗れた古賀さんに集中しました。

古賀: しかし、自分としては情けない試合でした。実はあの日、僕はカゼで体調を崩していて、睡眠もとらず、食事もとらずに試合に臨んだんです。ところが、うまく勝ち上がって、決勝にまで来てしまった。一方の小川選手は「何が何でも優勝するんだ」という気迫がみなぎっていました。執念で、僕を上回っていた。それが証拠に、引き手を取られた時、すぐに切ればよかったのに、“まぁ、いいか”という妥協が入った。その瞬間に決められてしまったんです。だから僕にとっては“よく、やった”ではなく、情けない試合なんです。心身ともに疲れていた、なんてのは理由になりませんね。小川選手を倒すのは至難の業ですが、機会があれば、いつかもう1度挑戦したいですね。

 

――あの時、武道館の天井を生れて初めて仰いだわけですが、感想は?

古賀: ライトがパアーッと見えて、すごくまぶしかったですね。一本負けした瞬間は、悔しさで何も考えられなかった。

 

――体重で60キロ近く重い小川選手を相手にしても“悔しい”というあたりが古賀さんらしい(笑)。

古賀: 柔道は武道とはいっても、本質的には格闘技ですからね。少々、言葉は悪いかもしれませんが、殺し合いの場で“体重が軽いから死んでも仕方がない”とは誰も考えないでしょう。どんな相手であろうと“自分が勝つ”という気持ちを強く持っていないと、生きるか死ぬかの勝負はできないですよ。柔道に妥協は禁物です。

 

――古賀さんが指導者の目で若い選手を見る時、どこに一番ポイントを置きますか?

古賀: やはり気持ちが強いかどうかということですね。同じ技をかけるにしても、本当に投げようと思ってかけているか、ただ漠然とかけているか、そこに注目します。いずれにしても相手を投げつけてやろう、叩きつけてやろうという意志がないと、どんなにいい素質を持っていても成長しないですよ。柔道は相手と闘う前に自分と闘う競技。当たり前のことですが自分の弱さを克服しようとする気持ちが大切ですね。

 

 地位にあぐらをかくことなく

 

――素質だけでいえば、お兄さんも大変な逸材といわれました。ところが、簡単に古賀さんに乗り越えられてしまった。このあたりの原因は何なのでしょうか?

古賀: 一流といわれるレベルの人間は柔道にもたくさんいます。しかし、その人たちが、それ以上のレベルの人間たちのやっていることを理解できるとは思えない。何の世界でもそうでしょうけど、一流の壁を越えた者にしか分からない領域というものは確実に存在する。それを自分のレベルで理解しようとするから、間違えた答えに行きついてしまうんです。

 

――それはお兄さんと古賀さんとを比較すること自体が間違いだということですか?

古賀: ……。僕はたとえ兄であれ、目の前にいる相手は倒す。人間はどうしても弱いから、闘志がわかない敵は避けようとする。そこで強い気持ちを持てるかどうかが大切なんです。

 

――それが“柔の道”につながっていくんでしょうか?

古賀: まだまだ僕の修行の身です。柔道をやっている間はずっと修行の身ですよ。常に今の自分に満足しないよう、上を目指していくつもりです。ところが、悲しいことに今の柔道界にはあぐらをかいている指導者が多過ぎる。口ばかり達者で、自らは何も努力しない。選手を鍛えようと思ったら、まず自らが率先して苦しいことに挑戦しないとダメです。口でどんなに立派なことを言ったところで、選手はついてきませんよ。その意味ではこれからは指導者も厳しい時代を迎えると思います。

 

――では、今後の日本柔道を背負って立つ若い選手へアドバイスはありますか?

古賀: 絶えず闘争心を忘れないこと。練習でも絶えず相手を徹底して投げつけてやろうという気持ちが大切です。柔道は自分が相手を投げることができるから面白いんであって、投げられては面白くない。練習の時から戦場にいるような気持ちが大切なんじゃないでしょうか。試合に負けて悔しくなくなったら、その選手はおしまいですよ。

 

――最後に古賀さんの今後は?

古賀: まずケガを治して、今後のことはそれからゆっくり考えようと思っています。オリンピックが終わったからといって、柔道に終わりはありませんから。

 

(おわり)


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