日本がブラジルに勝った日<前編>

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「厳しいグループだと思う……」。東京五輪サッカー・男子日本代表の森保一監督は組み合わせ抽選の結果を受け、そう吐露した。日本は南アフリカ、メキシコ、フランスと同組。グループリーグ突破もいばらの道ではあるが、日本は五輪の舞台で強豪ブラジルから大金星を挙げた過去がある。日本が演じた“マイアミの奇跡”を25年前の原稿で振り返ろう。

 

<この原稿は1996年9月号『月刊現代』に掲載されたものです>

 

 奇蹟を演出したのは夕闇に生じた一瞬の死角だった――。

 

 ウィングバック路木龍次が左サイドでボールをキープし、相手DFの背後にロングクロスを送り込む。ワントップの城彰二が、そのボールを執拗に追いかける。と、その時である。城よりも一瞬、速くボールに追いついたブラジルのセンターバック、アウダイールがヘディングによるバックパスをしようとして、飛び出してきたGKジーダと衝突してしまったのだ。

 

 ボールは坂道を転がるように芝の上を滑り、そのままブラジルゴールへ。オウンゴールかと思われた瞬間、ペナルティーエリア内に詰めていたボランチの伊東輝悦がスルスルとボールに迫り、右足のインサイドで慎重に蹴り込んだ。後半27分の出来事である。

 

 マイアミのダウンタウンの一角にあるオレンジボウル。75ドルのチケットで、バックスタンド左隅の2階席から観戦していた私には、正直言って目の前の現実が理解できなかった。

 

 路木のセンタリングは、ちょうど正面から見えた。伊東のシュートも、しっかり見届けた。ゴール直後、伊東と城が高々と右手を突き上げたことも記憶している。

 

 しかし、得点の実感が全くわいてこないのだ。なぜなのか? その理由の大半は後半に入って攻められっ放しだったため、この1点が勝利に結びつく予感がしなかったことにある。実際、先制されてからのブラジルの波状攻撃は凄まじいの一語に尽きた。大袈裟でなく生きた心地がしなかった。

 

 だが、得点の実感がなかった理由はそれだけではない。正直に言えば、オリンピックに28年ぶりに出場したこの国が世界最強のブラジル相手にスコアを記録するシーンがどうにも思い浮かばなかったのだ。“夕闇の死角とは”まさしく、われわれの心の中の様相そのものであり、エアポケットに落ちて混乱をきたしてしまったのは、他ならぬ私自身だった。かくして束の間の出来事は永遠の一瞬となった。1996年6月20日、アトランタ五輪。サッカー予選、日本対ブラジル戦の出来事である。

 

 試合前日、われわれ報道陣は、ちょっとした“捜索活動”に時間を費やさなければならなかった。日本五輪代表の練習は午後5時からマイアミ市内の大学構内で行われることになっていたが、広い構内にはいくつものフィールドが点在し、どこが所定の場所なのかわからない。しかも夏休みとあって、大学職員やセキュリティの姿はなく、われわれはレンタカーやタクシーを、教習場でのレッスンのようにぐるぐる走り回らせるより他に手がなかった。

 

 やっとの思いでゴールのあるフィールドを見つけ、選手たちの到着を待つこと数十分。夕刻だというのにフロリダ半島の太陽はじりじりと芝生を焦がし、じっと立っているだけで汗がにじんだ。それは湿気を大量に含んだ蒸し器の中を連想させるような、重量感のある熱さだった。

 

 練習中、照明スタンドの上部に大きな鳥の巣があることを、ある記者が発見した。何の鳥なのだろうかという話題になり、誰かが「野生のインコじゃないか」と推測した。「だって確か腹の部分に緑と黄の色が入っていたぜ」。

 

 それを受けたのが、サッカー評論家のセルジオ越後氏である。ジョーク好きのセルジオ氏は、こう切り返して周囲を笑いの渦に巻き込んだ。

 

「緑と黄? だったらブラジルのスパイかもしれないな。ブラジルがこっそりスパイを派遣するなんて、日本も偉くなったものだよ」

 

 ブラジルが日本を歯牙にもかけていないことは、試合前のマリオ・ザガロ監督のコメントでも明らかだった。選手、コーチ、監督としてブラジルの4度のワールドカップ制覇に貢献してきたこの名将は、日本の印象を聞かれて、たった一言、こう返した。

 

「乱暴なサッカーをしないチームであって欲しい」

 

 早い話、ザガロは「日本ごときは相手じゃない。そんなチームに、ケガでもさせられたらかなわない」と言いたかったわけである。

 

 サッカー王国・ブラジル。ワールドカップを制覇すること、過去に4度。世界に鮮烈な印象を刻みつけた94年ワールドカップ・アメリカ大会での24年ぶりの栄光は“機能美の極北”と形容され、王国に威信と誇りを甦らせた。

 

 しかし、この大会前から、「攻撃よりも守備を重視した布陣は芸術の香りのするブラジルサッカーの魅力を損なわしめるもの」という批判の矢面にさらされてきた監督のカルロス・アルベルト・パレイラは、王国の再建を果たしたにもかかわらず英雄として迎えられることはなかった。そればかりか監督としての地位まで失ってしまった。

 

 それゆえ、セレソン(ブラジル代表チーム)の監督に返り咲いた老将ザガロは、以前にも増して攻撃的なサッカーを標榜せざるを得なくなった。

 

 たとえば次のように。

「70年のメキシコW杯以来、ブラジルは優勝から遠ざかっていた。その事実がプレッシャーとなって重くのしかかっていたのは確かだ。当時われわれに課されていたのは優勝のみ。そこでパレイラと私は負けないため守備的でカウンター狙いのチームをつくった。

 

 その結果、チャンピオンになり過去の傷がやっと癒されたんだ。こうしてブラジルサッカーは過去の呪縛から解放され自由の身となり、本来の精神を取り戻しつつある。われわれは58年W杯のように再び世界を魅了することを約束する」(『ワールド・サッカー・グランプリ』8月号)

 

(中編につづく)

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