ザガロが強気になるのも無理はなかった。なにしろ、このオリンピック代表チームから32歳のベベートが抜け、ひとりのアタッカーが加われば、そのまま'98年ワールドカップ・フランス大会のフル代表に早がわりしてしまう。ザガロの目に映る日本の姿は、前哨戦には打ってつけの格下チーム、すなわちスパーリング・パートナー以外の何物でもなかった。

 

<この原稿は1996年9月号『月刊現代』に掲載されたものです>

 

 このメンバーがどれだけすぐれているかを説明するには、原稿用紙が何十枚あっても足りるものではない。オリンピック初制覇を狙うザガロは、オーバーエイジ(24歳以上 ※編集部注 東京五輪は25歳以上)の選手をルール内の3人を選出し、それぞれの選手にFW、中盤、DFにおける中心的役割を荷わせていた。

 

 ゴールスコアラーとしての期待を背負ったベベットについては、今さら説明の必要もあるまい。'94年アメリカワールドカップではMVPに輝いたFWロマーリオとともにツートップを形成し、ラストパサーとゴールゲッターの役割をほぼ完璧に果たし得た。ザガロが世界有数の点取り屋であるロマーリオを外してまでベベットにこだわった理由は組織プレーの巧みさにあった。

 

 ゲームメイクは23歳のジュニーニョが担当した。プレミアリーグ(イングランド)のミドルスブラでプレーするこの選手は、およそ人間の足技として考えつく最高級のテクニックをすべてほしいままにしていた。とりわけタッチ数が多く、変幻自在にボールを操るドリブルは、敵のスタンドをも魅了し、そのつど嘆声を誘った。

 

 そのジュニーニョより、やや下がり目のポジションをとったオーバーエイジのリバウドは遠目からでも矢のようなシュートを放つことができた。長身でフィジカル能力にすぐれ、かつ守備の意識も高いことから、ザガロから全幅の信頼を得ていた。

 

 そして、左のアウトサイドでは「世界最高のレフトバック」と呼ばれるロベルト・カルロスが存在をアピールしていた。速い、巧い、強い――。世界有数の名門クラブ、レアル・マドリッドに籍を置くこのレフトバッカーは、担当する左サイドを制圧するだけでなく、FKにおいてもワールドクラスの才能を発揮することで知られていた。

 

 センターバックのアウダイールについても触れねばなるまい。世界最高峰のサッカーリーグ、セリエA(イタリアリーグ)のローマで、ユニフォームの色に引っかけ「赤い壁」との評価を得ていたアウダイールはセレソンにおいては文字どおり「カナリアの壁」だった。イタリアに参集するワールドクラスのアタッカーを封じ込めてきた彼のテクニックとフィジカルコンタクトにかかっては、さしもの城彰二も前園真聖も嘴の黄色いひよっ子に過ぎない。誰もが胸の裡ではそう認識していた。

 

 西日が黄緑の芝を照らしていた。午後6時半の試合開始を前に、スタジアムはディスコ会場に一変した。数年前からアメリカで大流行している「パラパラ」というダンスミュージックが流れ、それに合わせてカナリアのユニフォームで身を固めた年頃の娘たちが悩ましげにヒップラインをくねらせ始めた。このダンス、まずどちらかの腕を伸ばし、掌を返し、次に腰に触り、お尻を振り、お尻を叩く……というおそろしく単純なシロモノなのだが、サンバのリズムが体に染みついているブラジル娘たちにかかると、もうそれだけで官能的であり、彼我のリズム感の違いを目のあたりにして絶望的な気分にさせられた。ニッポンはブラジルに勝てない――。次にカナリアのサポーターたちは8畳ほどもある国旗をスタンドに広げ、極東の島国からはるばるやってきたダンスミュージックに乗れないサポーターたちを睥睨し始めた。

 

 国旗に記されたメッセージは、たった一言「ESTAMOS AQUI」(オレたちはここにいる)――。シンプルであるがゆえにフットボールへの限りない情熱と誇りがそのメッセージにはあふれていた。少なくとも試合前、何かが起こりそうな予兆は微塵もなかった。誰もがブラジルの勝利を信じ、日本の善戦を期待していた。そして結果よりも内容にチケットの価値を見出そうとしていた。

 

 残り時間は既に15分を切っていた。オレンジボウルの芝を焦がし続けていたフロリダの西日はもうすっかり勢いを失い、かわって照明灯の灯が存在感を主張していた。

 

 得点の瞬間、それまでとぎれることのなかったサンバのリズムはピタリとやみ、放心からくる沈黙が、薄暮のスタジアムを唐突に支配した。

 

 まさかの先制ゴールを許したブラジルは、それまでにも増して激しく攻め始めた。シュートを打ち損なった選手は臆面もなくペナルティーエリア内に倒れ込み、PKを呼び込みにかかった。また敵陣でパスを得るや、誰もが手負いの獅子のように牙をむき、波状をなしてゴールマウスに襲いかかった。

 

 しかし、平均年齢20.8歳のわが五輪代表はひるまない。悲鳴と歓声が何度も最大値で交錯する中、スイーパーの田中誠は王国の刺客たちを撃退し続け、ジュニーニョのマンマークを指示された服部年宏は天才にペナルティーエリア内の周遊切符を一枚も手渡さなかった。サビオマークの松田直樹、ベベートマークの鈴木秀人もパーフェクトな仕事をやり遂げた。左ウィングバックの路木龍次は前半開始早々、いきなりタッチラインを駆け上がってセンタリングを上げ気概を示した。

 

 そして、この日の主役、GKの川口能活について述べておきたい。川口はブラジルのアタッカーたちから28本ものシュートを浴びながら、ただの一度も歓喜の瞬間を与えなかった。ある時は身を挺してゴールの前に立ちふさがり、ある時は果敢な飛び出しでシュートを未然に防ぎ、またある時は抜群の読みでDF陣を操り、シュートコースを消してみせた。

 

 とりわけ前半31分の守りは、鳥肌が立つほど素晴らしかった。ジュニーニョがCKからのこぼれ球をシュートしようと飛び込んだところを、敢然と突っ込み、押さえ込んだ。もし、前に出るタイミングが零コンマ1秒でも遅れていたら、次の瞬間、ボールはゴールネットを揺らしていたことだろう。

 

(後編につづく)


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