ロスタイムに入り、ブラジルはDF陣までがペナルティーエリアになだれこみ始めた。電光掲示板の時計はとっくに45分を経過しているのに、試合は終わらない。93年のワールドカップ予選、“ドーハの悲劇”のシーンが脳裡をよぎる。あの時もロスタイムに入ってからは防戦一方だったじゃないか……。

 

<この原稿は1996年9月号『月刊現代』に掲載されたものです>

 

 ブラジルは後半18分に投入したロナウドが恐るべき個人技を駆使して、ペナルティーエリア内を蹂躙する。アウダイール、リバウドら長身選手はコーナーキックをピンポイントでとらえようとしてニアサイドにスタートを切る。文字通りの集中砲火、絨毯爆撃――。

 

 1対0。試合終了を告げるホイッスルはけたたましいサンバの音にかき消されて、私の耳には届かなかった。カナリアのユニフォームの肩がガクンと落ちるのを見て、歴史的な勝利を知った。誰もが予想し得なかった大金星。これをグレート・アップセット(偉大なる大番狂わせ)と呼ばずして、いったい何と呼べばいいのか。

 

 レギュラーの全員がプロ契約選手。93年春に開幕したJリーグの申し子たち。68年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得したチームをもしのぐ五輪史上最強チーム。このチームがフル代表に比肩する実力をそなえていることは、多くの関係者が認めていた。

 

 しかし、相手はブラジルである。ペレやジーコの活躍を知る者にとって対戦できるだけでも幸せと思えるような相手。しかも、カナリアにはオーバーエイジが3人もいるのに対し、こちらはゼロ。まさに徒手空拳で世界最強の精鋭部隊を撃破したに等しい。

 

「ブラジルといえども、やる以上はケツの引けた戦い方はしない」

 

 前日、西野朗監督は浅黒い表情を引き締めるように語り、こう続けた。

「個人もチームも、持っているものを全部出し切る。作戦としてはマイボールにして前へ出る。そして、相手のDF陣の背後にいかにしてボールを供給するか。それに尽きる」

 

 結果として、西野監督の狙った通りのゲーム展開となった。試合直前、ボランチの広長優志をベンチに下げ、左ウィングバックに路木を起用した。服部のジュニーニョマーク、松田のサビオマーク、鈴木のベベートマークも、いずれも突然の指令だった。

 

「監督はいつも試合直前になって、突然、それまでのやり方を変える。“聞いてないよ”ってことが多すぎる」

 

 複数の選手が公然と監督批判を行った。しかし、西野監督の突然の戦術変更は間違いではない。普通にやれば、格下チームが負けるのは火を見るよりも明らか。けたぐりであれ、猫だましであれ、思いついた作戦は全て実行に移し、受け身に回らないのが弱者のセオリーというものだろう。

 

 西野采配は教えてくれる。弱者は敗者ではなく、強者は勝者ではない――。奇跡の背景のひとつとして、彼の勝負師としての才覚は見逃せない。

 

 一方、ブラジルサッカー史上に残る汚点を残してしまったザガロには、明らかにチーム編成上のミスがあった。まずツートップのベベットとサビオはいずれも2列目から飛び込んでいくセカンドストライカーであり、ロマーリオのような野性味溢れる得点感覚を有してはいない。2年前、新大陸でのワールドカップの夏、ロマーリオとベベットはともに違うタイプをパートナーに持ったからこそ、より自らの特徴をいかすことができたのである。

 

 さらに言えば天才ジュニーニョは、細かいドリブル、パスワークには優れていても、いわゆるグランド・デザインを描けるようなスケールの大きなゲームメーカーではない。ボールと戯れることに夢中になり過ぎて、チームの置かれている状況に即したプレーをすることにまで気が回らなかった。

 

 ロベルト・カルロスの場合は決定的に“何か”が欠けていた。具体的に言えば、それはプレーにおける“ため”である。テクニックと身体能力には何の不満もないが、アメリカワールド杯でレフトバックを担当したレオナルドのようなイマジネーションがプレーになく、ために機械的なイメージを最後まで払拭することができなかった。

 

 試合後、決勝点について聞かれたザガロは「あれは事故のようなもの」と言って、検事のようなブラジル人ジャーナリストの敗因追及から逃れようとした。後半、「ロマーリオ!」というシュプレヒコールがスタンドに響き渡った事実にたいしては、無視を決め込むしかなかった。なぜなら、それに反応することは自らの戦術や采配の誤りを認めることにほかならなかったからである。それは説明のつかない敗北以上に受け入れ難いことだったに違いない。

 

 試合終了と同時に、オレンジボウルには再びダンスミュージックが流れ始めた。今度はKC&サンシャインバンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」。70年代、日本のディスコシーンでも大流行したナンバーである。「パラパラ」には全くついていけなかった日本人サポーターの腰つきがどうしたわけかピタリと決まり、誰もが勝利の余韻に酔いしれた。それは決して官能的な光景ではなかったが、ささやかな宴に微笑ましい彩りがそなわり、緑の絨毯の遠景によく映えた。

 

(おわり)


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