もし飛距離を競う五輪種目があるのなら大谷翔平(エンゼルス)は金メダルの有力候補だろう。そんな夢想に耽りながらオリンピックイヤーのホームランダービーを見ていた。なかなか贅沢な時間だった。

 

 MLBのオールスターゲーム前夜祭として行われるホームランダービーは、現地で3度ほど取材したことがある。一番印象に残っているのはレンジャーズの本拠地で行われた1995年のダービーだ。

 

 テキサスの大地を焦がす太陽の下、優勝したのはホワイトソックスの主砲フランク・トーマス。身長196センチ、体重125キロの偉丈夫。パワーとテクニックを兼ね備えた万能型の強打者だった。

 

 なぜ26年前の記憶が鮮明なのか。翌日、ナ・リーグの先発としてマウンドに上がったのが日本人メジャーリーガーのパイオニア野茂英雄(ドジャース)だったからである。

 

 トーマスとの対決は2回にやってきた。4球目、ど真ん中に真っ向勝負のストレート。快音を発した打球は高々とファウルグラウンドへ。あの日、“落ちてこないフライ”というものを初めて見た。マイク・ピアザ捕手のミットにおさまるのに、いったいどれだけの時間を要しただろう。規格外のファウルに度肝を抜かれた。

 

 アンコンシャスバイアスという用語がある。いわゆる無意識の偏見。大谷が登場するまで、「日本人はパワーでは外国人に勝てない」という諦めにも似た思いが、私にもあった。

 

 日本では破格の飛距離を誇った松井秀喜のパワーをもってしてもホームラン王への道は遠かった。自己記録は04年、ヤンキース時代に記録した31本。ア・リーグのホームラン王に輝いたマニー・ラミレスとの間には12本もの差があった。

 

 ちなみに松井が31号を記録するのに要した打席は674。大谷の31号は、その半分以下の315。実に10打席に1本の割合だ。しかも彼はレフト、センター、ライト、どこにでも打ち込むことができる。33本の内訳はレフト方向に7本、センター方向に14本、ライト方向に12本。

 

 日米通算4367安打のイチローはヒットを広角に打ち分ける名人だったが、大谷は“広角ホームラン”を高いレベルで実現している。MLBのアナウンサーではないが「この男に不可能はないのか」。海を隔ててはいるが、同じ惑星に住み、同じ時間を生きることのできる喜びと幸運。“翔タイム”は未だウイルスの支配下の列島にあって、唯一の希望にして最高の娯楽である。

 

<この原稿は21年7月14日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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