東京パラリンピック開幕まで、1カ月を切った。

 

 

 日本パラリンピック委員会(JPC)は7月2日、都内で221人の代表選手を発表した。今後さらに追加される見通しだが、日本選手団としては現時点で史上最大の陣容である。

 

 日本選手団団長とJPC委員長を兼務しているパラリンピアンの河合純一は、その席で、こう語った。

 

「決められた状況で、できる限り最高のパフォーマンスを出せるように準備すること」

 

 準備なくして成功もなければ、栄光もない。

 

 河合といえば、パラスポーツ界屈指のレジェンドである。

 

 6大会連続(1992年バルセロナ、96年アトランタ、2000年シドニー、04年アテネ、08年北京、12年ロンドン)でパラリンピックに出場し、男子競泳で金メダル5、銀メダル10、銅メダル6、計21個のメダルを胸に飾っている。

 

 昨年1月、パラリンピアンとして初めてJPCのトップに就いた。

 

 河合は先天性ブドウ膜欠損症のため、生まれつき左目が見えず、15歳の時に右目の視力も失った。

 

 筑波大付属盲学校高等部から早稲田大教育学部に進み、卒業後は母校である舞阪町(現在の浜松市)立舞阪中学校の教師となった。

 

 その経緯について聞くと、本人は「“難しいだろうな”と思うことは多々あったが、それ以上に“やってみなきゃわからないんじゃないか”という楽天主義の方が強かった」と語っていた。

 

 JPC委員長に就任した2カ月後、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、東京大会の1年延期が決まった。

 

 どんな思いだったのか。

「あの状況下では仕方がないこと。考えられる最善の策だったと思います。一時は中止というシナリオもよぎったので、延期はありがたい選択だと感じました」

 

 アスリート・ファーストはオリンピックだけではない。パラリンピックも同様だ。

 

 河合は続ける。

「選手たちにはパラリンピックで最高のパフォーマンスを発揮してほしい。そう願うのは、彼らのこの先の人生を豊かにするからです。

 

 もちろん金メダルを獲ってくれれば最高です。しかし、金メダルを獲ることができるのは、その種目でひとつだけ。当然、負ける人の方が多い。たとえ勝てなくても、積み重ねてきた努力や工夫にこそ価値があるんです」

 

 オリンピックが「平和の祭典」なら。パラリンピックは「人間の可能性の祭典」――それが河合の持論である。

 

「パラリンピックで、選手たちの想像を超えるパフォーマンスに触れた時、人々は“どうしてここまでできるんだろう”と考えるはずです。つまり、人間の持つ可能性について思いを馳せてくれる。

 

 そして願わくは、その可能性が自分自身にもあることに気付いてほしいんです。それこそが、パラリンピックの最大の魅力だと思っています」

 

 日本のパラスポーツはまだ夜明け前である。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2021年7月25日号に掲載されたものを一部再構成しました>

 


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