「トップ選手は孤独」<後編>

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二宮清純: 後編は主に森田さん自身のことを伺いたいと思います。プロゴルファーになろうと思ったきっかけは?

森田理香子: 祖父がゴルフの練習場を経営しており、そこでプロゴルファーの永井奈都さんが当時プロを目指して頑張っている姿を間近に見てきました。それで私も自然と“プロになりたいな”と思うようになったんです。その練習場にプロゴルファーの足立香澄さんも来て、“すごくカッコイイな”と憧れましたね。

 

金明昱: 師匠の岡本綾子さんは日本女子プロゴルフツアー(JLPGAツアー)で44勝、アメリカLPGAツアーで17勝をあげ、1987年には、アメリカ人以外で初のLPGAツアー賞金女王にもなったレジェンドです。森田さんはプロデビュー後に岡本さんの門下生となりましたが、どんな指導を受けましたか?

森田: 岡本さんは「見て覚えなさい」という昔気質のスタイルですね。ただ、私はわからなかったら、「わかりません」と正直に言いました。

 

<ゲスト>森田理香子(もりた・りかこ) 1990年1月8日、京都府生まれ。京都府出身。祖父がゴルフ練習場を経営していたことがきっかけで8歳からゴルフを始める。アマチュア時代はナショナルチームで活躍。08年のプロテスト合格。圧倒的な飛距離と勝負強さを武器に日本女子プロゴルフツアー(JLPGAツアー)で台頭した。09年は賞金ランキング27位で初シードを獲得。10年に樋口久子IDC大塚家具レディスでツアー初優勝を果たした。13年には4勝をあげ、賞金女王に輝いた。16年にシード権を喪失。現在は JLPGAツアー解説の仕事やラウンドとトレーニングも続けている。身長164センチ。

二宮: 岡本さんは酒豪で通っていますが、“飲みニケーション”もありましたか?

森田: お酒の席ではゴルフ以外の話もたくさんしていただきました。またアメリカでの経験や人生観なども聞かせてもらい、大変勉強になりました。

 

: 岡本さんから言われて一番印象に残っていることは?

森田: 「孤独を味わえ」という言葉です。「トップになる選手はみんな孤独。それを味わわなければいけない。ひとりで全英に行ってきなさい」と言われました。2013年全英リコー女子オープンへの遠征に、マネージャーやキャディーを日本から連れて行かずひとりでスコットランドに行きました。

 

二宮: 世界を知るだけに重みのある言葉ですね。

森田: 言われたばかりの頃はわかりませんでしたが、今になってみると身に沁みてわかりますね。

 

二宮: ゴルフというスポーツにはコーチやトレーナー、キャディーも関わっていますが、最終的には自分との戦いになります。

森田: 今の若い人は周りの人間に左右されない感じがしますね。それはゴルフ界に限ったことではないのかもしれません。企業の経営者の方から「今の若い子は何を考えているかわからない」という話を聞いたこともあります。選手同士もあまり上下関係がないように思います。

 

 昔は遠回り、今は近道

 

二宮: ところで最終日のラスト9ホールをサンデーバックナインと呼びますが、特に優勝のかかったサンデーバックナインは相当な緊張感がおありでは?

森田: 岡本さんに「サンデーバックナインでスコアを伸ばせる選手が強い」と教わってきました。だから私自身苦手意識はありませんでしたね。ドキドキというよりはイケイケ。“スコアをいくつか伸ばしてやろう”という心境でした。

 

二宮: 心を安定させる“おなじまない”は?

森田: 人それぞれあると思います。私の場合は根性論。“あれだけ練習をやったから大丈夫”という気持ちでラウンドしていました。

 

二宮: 昭和風ですね。練習は嘘をつかない、と。

森田: 私の場合は、それしかなかった。自分をとことん追い込み、“私は誰よりも練習しているはず”という自負が心の支えになっていた。試合や取材、イベントなどに出ない日は朝5時から夜までずっと練習していました。

 

<ゲスト> 金明昱(きむ・みょんう) 1977年7月27日、大阪府生まれ。在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が10年南アフリカW杯出場を決めた後、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿した。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、AFCアジアチャンピオンズリーグ、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

二宮: 自分のスイングを撮影してフォームを確かめることも?

森田: 最近の選手は計測器のトラックマンを使い、スイングを調整していますが、私がツアーを戦っている頃はまだそういう機器はなかった。

: 森田さんがおっしゃるように最近の練習場はトラックマンを置いてあるのが普通です。いわゆるスパルタ式の練習をやっている選手はほとんどいない気がします。トッププロに関しては専属のコーチを付ける方も多い。

 

二宮: 昔はスパルタ指導が主流でしたが、今は少なくなりましたか?

: ほぼないと思います。昔は 500~1000球打つのが当たり前ということを、取材していて、よく聞きましたけどね。

森田: イメージでいうと昔は遠回り、今は近道。私は遠回りの方がいい気がしますね。古いタイプなのかもしれない(笑)

 

二宮: 森田さんは試行錯誤を繰り返しながら、正解を見つけていくタイプなんでしょうね。

森田: 私は師匠の岡本さんに近付けるように頑張ってきました。でも、身体つきも利き手、利き目も全て異なる。だから岡本さんになりたくても無理だった。周りからは「似ている」と言ってもらえることもありましたが……。

: スイング写真の比較を見たことありますが、すごく似ていましたよ。

 

 心技体が揃ってこそ

 

二宮: 岡本さんはプロゴルファーになる前はソフトボールの選手でした。そこで基礎が培われたんでしょうね。

森田: 岡本さんに「ソフトボールの実業団に行ってトレーニングしてきなさい」と言われて、女子ソフトボールの実業団チームの練習に参加したことがあります。

 

: ゴルフとソフトボールという異なる競技での練習に戸惑いはなかったですか?

森田: 基礎体力の差をまざまざと見せつけられ、ランニングは3周遅れになりました。ソフトボールは団体競技なので連帯責任。チームや仲間を思いやる気持ちを学びましたね。ゴルフは個人競技なので新鮮でしたし、いい経験になりましたね。

 

<聞き手>二宮清純(にのみや・せいじゅん) 1960年2月25日、愛媛県出身。スポーツジャーナリスト。スポーツ情報サイト「スポーツコミュケーションズ」主宰。

二宮: 森田さんは2013年、JLPGAツアーの賞金女王に輝きましたが、18年にツアーを退かれました。

森田: モチベーションが最大の理由です。燃え尽きてしまった。現役を辞めたわけではないのですが、ツアーからはフェードアウトしました。ただ今でも身体づくり、練習は欠かしていません。

 

二宮: 現在31歳。年齢的にはまだまだやれるでしょう。

森田: そうですね。でも「心技体」が揃わなければダメですね。昔は“「体技心」でもいいじゃん”と思っていました。身体があって技術があれば、心もついてくる、と。でもそうじゃなかった。心が一番先にくる理由が最近はよくわかります。

 

二宮: 今後はどのような活動をしていきたいですか?

森田: 私は8歳からゴルフ一筋でずっとやってきました。人に教えるのが好きなので、レッスンをしたり、ジュニアを指導したり、いろいろやりたいことがあります。競技生活一本という人生は一区切りにして、次の人生に向かっていこうと考えています。

 

二宮: ツアーから離れてみて、気持ちの面での変化は?

森田: ツアーに参戦している頃、イップスっぽくなったことがありました。ゴルフのことが四六時中頭から離れなくて、試合に出られなくなった。そこで何もしないしんどさ、忙しいことの幸せに気付けた。“私にはゴルフしかない”と。ゴルフで人間関係を築いてきた私がやるべきことは何か。それは“ゴルフ業界への恩返し”です。今後はゴルフの魅力を、たくさんの人に伝えていきたい。それが今の私のモチベーションです。

 

(おわり)

 

(構成・写真/杉浦泰介)

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