第2回 「神様ジーコの憂鬱」(後編)

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 予定の1時間はすでに過ぎていた。フェネルバフチェのスタジアムの中にある会議室で、ジーコはクラブの会長たちと会っていた。
 昨日、フェネルバフチェは格下に敗れている。会談の内容は厳しいことが想像できた。
 嫌な予感がした。
(写真:フェネルバフチェのホームスタジアムにて、ジーコ)


 イスラム教国であるトルコは、僕たち日本人とも、キリスト教を基本とした欧州の国々とも、人々の発想の根本が異なっている。余談になるが、だからこそ、欧州諸国は、欧州連合にポーランドを快く加えたが、未だにトルコの加入を認めていない。

 ジーコはフェネルバフチェの監督となった時、日本代表と同じように選手を信用し、自主性を重んじた。ところが、そのやり方をクラブの首脳陣は気に入らなかった。「選手には鞭を使っても、言うことを聞かせればいいのだ」と強硬な指導をジーコに求めたことがあった。もちろんジーコはそれに反発した。結果を残すことで、首脳陣はジーコのやり方が正しかったことを認めていったという。

(写真:フェネルバフチェのホームスタジアムの外観) トルコのサッカー熱は高く、観客席の盛り上がりは、狂気に近い。
 ジーコが監督に就任した年、フェネルバフチェはクラブ創設100周年を迎えていて、ジーコは結果を求められていた。国際的に最も注目を集めるチャンピオンズリーグでは、グループリーグで敗退。リーグ戦での優勝は必要最小条件になっていた。現時点で首位を保っていたが、その戦いぶりについて、首脳陣がどんな評価を下しているのか分からなかった。

 ジーコの憂鬱な表情が頭に浮かんだ。彼は誇り高い男である。不当な扱いを受けたと感じれば、自ら職を辞するだろう。

ジーコは日本での仕事を誇りに思っている

 ジーコが螺旋階段を降りてきたのは、予定の1時間と10分以上過ぎた頃だった。
 彼の顔が先程よりも和らいでいるのを見て、僕はほっとした。
「さあ、取材に行こうか」
 ジーコは僕たちに向かって目配せした。

 取材は、僕たちの泊まっているホテルで行うことになった。ホテルの経営者は、フェネルバフチェのクラブ関係者で、これまでもしばしば便宜をはかってもらったという。
 地下の個室を貸し切って話を聞くことになった。欧州でプレーしている日本人選手全員の結果については、欠かさず調べていた。彼が日本で仕事をしたことを誇りに思っていることが良く伝わってきた。日本代表、ワールドカップについて話は2時間を超えた。

「これから何か予定はあるのか?」
 取材が終わるとジーコが尋ねた。誰も知人のいないイスタンブールでは、予定は何もない。
「じゃあ、一緒に食事でもしよう」
 僕たちはレストランに場所を移して、ワインを飲みながら話をつづけた。
「大変だったみたいだね、会長との話は」
 先程の会談に話を向けると、ジーコは「ああ」と苦笑いした。
「それだけクラブを愛しているのだから、仕方がない。色んな意見があるからね」
 ずいぶん変わったものだ、と僕は思った。

ジーコは文化の違いを受け入れる寛容さを身につけた

(写真:リオの海岸) 最初にジーコから話を聞いたのは、95年のことだ。
 その前年の94年のJリーグ・ファーストステージを最後に、彼は2度目の現役引退をして、故郷のリオ・デ・ジャネイロでサッカーセンターのオープンの準備をしていた。連載のために様々な話を聞いた。

 1年目のチャンピオンシップでヴェルディ川崎に敗れた時のことに話が及ぶと、顔を真っ赤にして、“ヨミウリ”がいかに優遇されているかをまくし立てた。彼はこの試合で、ボールに唾を吐いて退場処分を受けていた。彼の話し方は、選手たちを激しく叱りとばす時の顔と同じだった。ジーコはまだ若く、荒々しかった。

「日本ではゴールネット1枚変えるのに、書類を回さないといけない。日本の社会システムは、簡単なことでもすぐに対応することができないんだ」
「日本の指導者は過去の実績にあぐらを掻いて、努力をしない。そして、選手たちは全く考えないお人形さんだった」
 当時、彼はそうまくしたてたものだ。

 彼が劇的に変化したのは、日本代表監督を引き受けてしばらくしてからのことだ。
「サッカーにおいては少し変えなければならないところはあるが、日本にはすぐれた文化がある。とくにきちんと準備すること、組織立って行動する点は素晴らしい」
「選手たちのところに降りていって、壁を壊すことが一番難しかった」
 ジーコはサッカースクールの経営者としてブラジルで様々な苦労をしたことだろう。ブラジルには日本のような計画性や秩序が欠けている。2つの国を往復することで、日本の良さを再確認したのだという。双方の文化を受け入れる寛容さ、サッカー協会などの組織を動かす術を彼は身につけていた。

(写真:柔和になったジーコ) 今回、イスタンブールで会ったジーコの顔はさらに柔和になっていた。そのことを言うと、ジーコはにっこりと笑った。
「そうかもしれないな」
 鹿島に来たブラジル人選手、スタッフが口を揃えて言うことがある。鹿島はポルトガル語の分かる人間が多く、人々は親切で暮らしやすい、と。
 その礎を作ったのはジーコである。また、心優しき鹿島の人は、ジーコたちを受け入れた。

 表面的には欧州ではあるが、内面は全く異なっているこの国では、鹿島の時よりも苦労をしていることだろう。
 ジーコはワインで顔が少し赤くなっていた。第2の故郷とも言える日本から人がやってきたことが嬉しかったのかもしれない。僕もそんな彼の顔を見ていると嬉しくなった。
 僕たちは日付が変わる手前までワインを飲み続けた。二月のイスタンブールはまだ寒かったが、ワインの心地よい酔いもあって、僕は暖かい気持ちになっていた。

(終わり)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。08年3月11日に待望の新刊本『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)が発売された。

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