雨に祟られる甲子園。17日の第一試合、大阪桐蔭対東海大菅生(西東京)戦は降雨コールドゲームとなり、残り3試合は18日に順延された。これにより、決勝は史上最も遅い8月28日にズレ込む見通し。

 

 15日付の本紙に、懐かしい記事が載っていた。5度も順延された1975年大会の振り返りである。決勝は習志野(千葉)対新居浜商(愛媛)。5対4で習志野が2度目の全国制覇を果たした。

 

 地元・愛媛の新居浜商が勝ち進んだため、この大会のことは、よく覚えている。4対4の9回裏、2死一、三塁からライト前にサヨナラタイムリーを放ったのは2年生の下山田清。石井好博監督の指示は「ショートの頭上を狙え」だったが、打球は反対方向に飛んだ。

 

 習志野のエース小川淳司と新居浜商の一塁手・片岡大蔵は、後にヤクルトで同僚となった。今度は片岡が投手、小川は外野手。人生は奇縁に満ちている。

 

 5度の順延以外にも、この大会の決勝には珍しいことがあった。習志野、新居浜商ともに「市立」なのだ。戦前まで遡って詳しく調べたわけではないが、市立高校同士の頂上対決は、そうあることではない(新居浜商は1990年に県立に移管)。

 

 公立とはいっても国立、県立、都立、府立、道立ばかりではない。市立もあれば町立、村立もある。1993年のセンバツでは、北海道から知内(しりうち)町立の知内が出場し、話題を呼んだ。町立の高校としては初めての甲子園出場だった。

 

 あまり知られていないが、公立には組合立という形態もある。「特別地方公共団体たる一部事務組合が設置する公立の高等学校」(ウィキペディア8月17日閲覧)。現存するのは、利根沼田学校組合立利根商(群馬)、公立古賀竟成館(福岡)、公立三井中央(同)の三校。甲子園未出場ながら、利根商からはプロ野球選手も出ている。90年代後半、オリックスにいた捕手の高橋信夫だ。

 

 最後に分校。97年のセンバツで和歌山県立日高高中津分校が、分校史上初の甲子園出場を果たしたことは記憶に新しい。同校は西武などで活躍した垣内哲也を始め5人のプロ野球選手を輩出している。

 

 ちなみに分校からはメジャーリーガーも出ている。高知県立高岡高宇佐分校(現・高知県立高知海洋)出身の野村貴仁だ。かつて、彼は“分校の星”だったのだ。と、四方山(よもやま)書いているうちに雨が上がった。東京よりも西の空が気になる宿雨の夏である。

 

<この原稿は21年8月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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