第209回 サッカー界を揺るがした世紀の移籍劇(リオネル・メッシ)
東京五輪開催期間中の8月6日、サッカー界に衝撃が走った。ブラジルがスペインを降し、2大会連続2度目の五輪制覇を果たしたのは、その翌日である。
サッカースペインリーグ(ラ・リーガ)1部の強豪・FCバルセロナがFWリオネル・メッシとの契約交渉を打ち切ったのだ。
<両者が今日中に新契約を結ぶという明確な意思を持っていたにもかかわらず、財政的・構造的な障害(ラ・リーガの規定)のため、実現が不可能となりました。>(バルセロナ公式HP)
その5日後、メッシはフランスリーグ1部のパリ・サンジェルマン(PSG)に入団した。年俸45億円の2年契約。背番号はバルセロナでプロデビューを飾った時と同じ30。
メッシの経歴については、説明の必要もあるまい。アルゼンチンでサッカー人生をスタートし、13歳でバルセロナの下部組織に加わった。
2004年から17年間にわたってトップチームで活躍し、10度のラ・リーガ、7度のスペイン国王杯、4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝などに貢献した。
公式戦778試合に出場し、672得点。これはクラブ歴代最多だ。また、世界中のサッカー選手の中で最も活躍した選手に贈られるバロンドールにも6回輝いている。
ただし、アルゼンチン代表としては、少々物足りない。W杯には、過去4度出場しているが最高位は14年ブラジル大会の準優勝だ。
メッシとしばしば比較されるディエゴ・マラドーナは1986年メキシコ大会で母国を世界一に導いている。“神の手”や“5人抜きドリブル”など伝説も生んだ。
その鬱憤を晴らすかのように、メッシは今年6月から7月にかけてブラジルで行なわれたコパ・アメリカ(南米選手権)で7試合に出場し、4ゴール5アシストと大暴れ。母国を28年ぶりの南米王者に導いた。
話を本題に戻そう。なぜメッシはバルセロナを去り、PSGに走ったのか。
この移籍にはバルセロナが“障害”と表現した給与上限規定が関係している。
ラ・リーガの規定により各クラブは年俸、移籍金など諸々の人件費の減価償却費を予算の70%以下に抑えなければならない。これに違反すると選手登録が認められないのだ。
今季、バルセロナが人件費として使える額は452億円あまり。昨季のメッシの年俸は約180億円。本人は50%減額で合意したもののラ・リーガが待ったをかけた。こうして両者は引き裂かれたのである。
ところで、メッシを獲得したPSGとは、どんなクラブか。国内リーグを9度制しているフランスきっての名門。現在はカタール政府系ファンドのQSIが所有している。
主力には以前バルセロナに所属していたブラジル代表FWネイマールやアルゼンチン代表FWアンヘル・ディ・マリアらが名を連ねる。
この6月で34歳になったメッシは入団記者会見でこう語った。
「すべてを勝ち取りたいからここに来た」
新しい伝説が始まろうとしている。
<この原稿は『サンデー毎日』2021年9月12日号に掲載されたものです>