第210回 紆余曲折を経て、ルマン初優勝の栄誉に輝く
ルマン24時間レースは、F1のモナコGP、米国インディアナポリス500と並ぶ世界三大自動車レースのひとつである。
そのレースでトヨタに乗る小林可夢偉(小林/マイク・コンウェイ/ホセ・マリア・ロペス組)が、東京五輪の余韻も覚めやらぬ8月22日、初優勝を果たした。
ルマン24時間レースとは、読んで字のごとくフランスのルマン近郊で行われる4輪耐久レース。24時間でのサーキット周回数を競う。(一周13.6キロ)
2台エントリーしたトヨタのうち、7号車に乗った小林は、予選でポールポジションを獲得し、決勝でもスタートからトップに立ち、順調に周回を重ねた。
18時間過ぎには、2位の僚友8号車を周遅れにする快走で、最終的には2周以上の差をつけ、圧勝した。トヨタは7号車の優勝により4連覇を達成した。
小林にとってトヨタでは6回目のルマン挑戦にして、初めての優勝だった。
「ルマンの勝者というのは最高の気分。ここで勝つためには運が必要だと常々感じていて、今回も決して楽なレースではなかった。でも、チームのおかげもあり、ようやく勝つことができた」
と小林。これを受け、トヨタの豊田章男社長は「やっと忘れ物を取ってこれたね」とその労をねぎらった。
過去、ルマンを制した日本人は小林の他に関谷正徳(95年)、荒聖治(04年)、中嶋一貴(18、19、20年)がいたが、この中でF1の表彰台に上っているのは小林だけである。
34歳でルマンを制した小林は、9歳でカートレースを始めた。少年の日のアイドルは“音速の貴公子”アイルトン・セナ。
04年、18歳で欧州に渡り、彼の地でフォーミュラルノー、F3、GP2(現F2)と順調にステップアップし、09年秋にF1デビューを果たした。
初の表彰台は12年第15戦の日本GP(鈴鹿)。予選3位からスタートし、終始、ポジションをキープした小林は、パワーに勝るマクラーレンに乗るジェンソン・バトンの猛追を20周以上に渡って封じ、3位に滑り込んだ。
鈴木亜久里(90年日本)、佐藤琢磨(04年アメリカ)に続く日本人3人目の快挙を、鈴鹿に詰めかけた10万人の大観衆は「カムイコール」で祝った。
しかし、好事魔多し--。翌シーズンは持参金を巡り、チームとの交渉がまとまらず、小林は活動資金を得るために一般から寄付を募った。今でいうクラウドファンディングである。
紆余曲折を経て、14年にF1に復帰した小林だが、万年テールエンダーのチームだったため満足な成績は残せず、このシーズンを最後にF1を去った。
トヨタの一員としてルマンを始めとする世界耐久選手権に参戦したのは16年から。キャリア初期に直系のレーシングスクールで学んだトヨタとの縁が復活したのだ。
「ここに到るまでに、何年も何年も、様々な経験した。その中には本当に辛いものもありました」
長いキャリアに輝かしい勲章がひとつ加わった。
<この原稿は『サンデー毎日』2021年9月26日号に掲載されたものです>