<痛みは薬でおさまっているけど、今回はかなりの月経過多で貧血。買物に行こうとしたんだけど、クラクラして動けない>(8月31日・自身のツイッターより)

 

 

 アイドル顔負けの容貌を誇った元女子プロレスラーで、女子プロ団体「LLPW」初代社長の風間ルミさんが死去していたことが9月22日にわかった。57歳だった。

 

 団体関係者によると風間さんは長きにわたって子宮内膜症を患い、貧血により動けないことが、しばしばあったという。

 

「しかし、極度の病院嫌いで“病院に行け!”といっても、なかなか行かない。注射も嫌がっていました」

 

 風間さんは文京区内のアパートにひとり住まい。18日を最後に連絡がとれなくなっていた。

 

 女子プロレス入りする前はシュートボクシングの試合に出場していた。1986年、“ビューティー・ペア”で一世を風靡したジャッキー佐藤に誘われて「ジャパン女子プロレス」入り。その人気からジャッキー佐藤、ナンシー久美、同期入団の神取忍とともに“四天王”と呼ばれた。デビュー当時から風間を知る神取によると、「負けず嫌いで、いつもケンカばかりしていた」という。

 

「身長は公表160センチでしたけど、実際は157センチくらい。体が小さくてもできる、ということを証明するために、陰で努力をしていたんだと思います。プロレスのスタイルの違いや目指すべき方向性の違いについては、よくケンカしたけど、すぐ仲直りした。たったひとりの同期生ということもあり、切っても切れない関係でしたね」

 

 2人が何よりも楽しみにしていたのが毎年5月に行なわれる浅草の三社祭。元プロレスラー・アニマル浜口の紹介により、祭りに参加するようになった。

 

「名前入りの法被で神輿を担ぐ。LLPW旗揚げの頃から参加し、コロナで中止になるまで、ずっと続けていた。もう神輿も担げなくなるのかと思うと、無性に寂しいですね」

 

 消え入るような声で、神取はそうつぶやいた。合掌。

 

<この原稿は『週刊大衆』2021年10月18日号に掲載されたものです>

 


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