遺体が安置されている東京・大塚警察署に女子プロレスラーの神取忍が駆け付けたのは9月22日の午前10時頃だった。死に顔を見るなり涙が止まらなくなった。しばらくの間、その場に呆然と立ち尽くした。

 

 9月21日に病院での死亡が確認された元女子プロレスラーで、女子プロ団体「LLPW(現LLPW-X)」初代社長の風間ルミさんは、神取にとって血を分けた姉妹以上の仲だった。「本当の意味での同期で同士。負けず嫌いで、いつもケンカばかりしていた。しかし、すぐ仲直りするんです」

 

 女子柔道日本王者の神取が旗揚げしたばかりのジャパン女子プロレスに入団し、デビューしたのは1986年8月。同期生がシュートボクシングの世界から身を投じた風間さんである。プロレス未経験の2人は、老舗の全日本女子プロレスでスターだったジャッキー佐藤さん、ナンシー久美さんとともに、いきなり“四天王”に祭り上げられる。アイドル顔負けの容貌を誇る風間さんと実力派の神取。水と油のように映るが、なぜか気が合った。

 

 先に団体を去ったのは神取だ。ジャッキーさんとの遺恨試合に勝利した神取は、しかし、その内容があまりにも凄惨だということで、試合を干される。振り返って神取は語る。「私にも言い分はありますよ。いわゆるシュートマッチであることは会社もジャッキーさんも知っていた。いきなり仕掛けたり、そんな卑怯なことはしません。あの時、団体で唯一、味方になってくれたのが風間。“戻ってきてよ”との一言にどれだけ励まされたことか…」

 

 風間さんと神取が組んで新団体を設立するのは、ある意味、必然だった。風間さんが社長、神取が副社長となり92年8月29日、後楽園ホールにて「LLPW」を旗揚げする。「事務所もない、資金もない、リングもない。何もない団体でした」とは神取。「旗揚げ当初は、生きていくのに必死という状況。道場もないため、練習は開店前のディスコでリングを組んでいた。経営も慣れないものだから興行主に逃げられ、売り上げがゼロの時も。試合前、風間と弁当を分け合って食べたこともあります。いつかメジャーになりたいね、と上を向きながら…」。一杯のかけそばを連想させる逸話だ。

 

 追悼試合は後楽園ホールを予定している。「あそこがLLPWの、そして私たちの原点だから。最後、おもいっきりカッコよく送り出してあげたい」。いつもの強気な口調で彼女は言った。

 

<この原稿は21年10月6日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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