大相撲で史上最多となる45回の幕内最高優勝を誇る第69代横綱・白鵬が秋場所後に引退した。

 

 

 本人によると、21年間の力士生活に終止符を打とうと決めたのは、今年7月の名古屋場所10日目だという。10連勝して宿舎に戻り、宮城野親方に「今場所限りで引退します」と伝えた。

 

 引退の直接のきっかけは右ひざの古傷。医師からは「私がやることは終わった。次に痛めた場合は人工関節になる」と最後通告を受けていた。

 

 結果的に16回目の全勝優勝を果たすことになる名古屋場所だが、場所前は「今の右ひざの状態では15日間は持たない」と悲観的で「10勝」を目標に置いていた。

 

 しかし、そこは勝負師である。勝ち続けるうちに欲が出てきた。14日目の大関・正代戦は立ち合い、徳俵に足がかかりそうな位置にまで下がり、「これが横綱相撲か」と物議をかもした。

 

 なぜ、格下の大関相手に奇襲を仕掛けたのか。

「正代には前年の春場所も負けている。彼は腰が強くてひざが伸びたままでも相撲が取れる。シミュレーションしても勝てない。これはもう離れて取るしかない、と……」

 

 横綱として決して褒められた相撲ではなかったが、白鵬には「横綱は常に勝たなければならない」という横綱としての思想・信条があった。

 

 白鵬に影響を与えたのが“昭和の名横綱”大鵬である。07年7月、横綱昇進を果たした直後、白鵬は大鵬の自宅を訪ねた。

 

 そこで大鵬は白鵬に「わしは21歳で横綱なった時に、もう引退することを考えていた。横綱は勝てなければ即引退だ」と告げたという。

 

 横綱昇進後は「後の先」、すなわち角聖・双葉山の立ち合いを追い求めたが、やがて「ケガで理想とする相撲ができなくなった」こともあり、荒々しい相撲へと変貌を遂げていく。

 

「(大鵬の持つ)最多優勝記録を更新した時に、目標や夢を失う寂しさ、悲しさがありました」

 と白鵬。晩年の大横綱は孤独だったのである。

 

<この原稿は『週刊大衆』2021年10月25日号に掲載されたものです>

 


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