あちこちから随分、批判されたが菅義偉前首相が唱えた「自助・共助・公助」の政策理念は基本的に正しかったと考えている。社会保障の分野では自助と共助の間に互助が入るのが一般的だが、それも共助に含まれると見なせば、何も間違ったことは言っていない。

 

 西洋にも「神は自ら助くる者を助く」ということわざ(God helps those who help themselves)がある。まずは、自らが動いてみる。うまくいかない場合は、近隣住民やボランティアの力を借り、それでも解決できない時は公的サービスを利用する。この順序をひっくり返し、最初から公権力が介入する社会は、むしろ疎ましい。

 

 ただ、前首相は説明がおざなりだった。五輪・パラリンピック開幕前の「安心・安全な大会」の連呼がそうだったように、全てが紋切り型で、「その心は?」という部分の説明が決定的に欠けていた。ついぞ聞く側は“納得感”を得ることができなかった。

 

 今夏の五輪・パラリンピックのレガシーとして書き残しておきたいのが、大会の「共助」としてのボランティアの人々の奮闘だ。たとえばメディアセンター内にボランティアが自主的に設けた折り紙コーナーは、米ラジオ局から「日本の芸術を見せるプレゼント」と絶賛された。

 

「コロナ下、ジャーナリストやボランティアが互いにニコッとできる空間をつくりたかった」。そう語ったのは幕張のメディアセンターでボランティアリーダーを務めた星野晃一郎だ。本職はIT企業の社長である。「折り紙とボール紙でメダルもつくりました。最初は不思議そうに見ていた人たちが、やがて笑顔になり、しばらくすると、これを首にかけて記念撮影をしていた。海外の多くの人から“あれは、いい思い出になった”と言っていただいた。個人的に今回、困難の中、ボランティア活動に従事してくれた人々は“日本の宝”だと思っています」

 

 日本は災害大国である。地方では人口減少が続き、地域社会の「共助」の代表格である消防団の存続すら高齢化と過疎化により危ぶまれている地域もある。

 

 スポーツボランティアの育成に力を入れる渡邉一利・日本財団ボランティアサポートセンター理事長は、かつて「スポーツボランティアを入口として、その後は教育や福祉、災害支援活動などにも関わっていただきたい」と語っていた。星野の言葉を借りれば、スポーツボランティアそのものが“日本の宝”と言えるかもしれない。

 

<この原稿は21年10月27日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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