ハラハラ、ドキドキ、ワクワク――。これがスポーツ中継が高視聴率をマークするための必要条件である。先の北京五輪野球アジア予選にはこの3つの要素が全て含まれていた。その結果が日本対韓国戦23.7%(関東地区)、28.9%(関西地区)、日本対台湾戦27.4%(関東地区)、33.3%(関西地区)――(「ビデオリサーチ」)。きょう負けてもあすがあるレギュラーシーズンでのゲームと違い、国際大会は基本的に「あすなき戦い」である。見る側も緊張を強いられる。日常生活では味わえない狂熱や絶望がそこにはある。

 長きに渡ってプロ野球がスポーツ界の王座に君臨してきた理由――それは日本人のライフサイクルに合致していたからだと私は考えている。
 言わずもがな日本人は稲作を中心とする農耕民族だ。プロ野球は春浅い2月にキャンプをスタートする。稲作でいえば“田起こし”だ。昔はスキで田を耕していた。それが終われば苗代だ。プロ野球で言えばオープン戦にあたる。ここでしっかり選手ならぬ稲を育てる。

 そして春になれば待ちに待った田植えが始まる。プロ野球で言えば開幕だ。4、5、6月とペナントレースの前半を戦い、稲がある程度実ってくると夏祭りの季節だ。プロ野球で言えば“夢の球宴”がそれにあたる。
 台風が過ぎれば実りの秋だ。プロ野球の場合は日本シリーズ。いわゆる収穫祭だ。農耕民族は収穫が終わると大地に感謝し、恵みを祝う。神に供物をし、踊りをおどり、みこしを担ぐ。祭りが終わると、翌年への準備に取りかかる。プロ野球ではドラフト会議だ。蓄え物をして長い冬をしのぎ、春の穏やかな日差しを待つ。プロ野球は農耕民族である日本人にとって「日常」そのものだったのだ。

 ところが昨今、農村は疲弊し、米のひとりあたりの年間消費量はピークだった1962年と比べると、今は約半分にまで激減している。日本人を、稲作を中心とする農耕民族と定義すること自体、もはや心許ない。日本人のライフスタイルが激変した今、レギュラーシーズンという名の「日常」よりも「あすなき戦い」という名の「非日常」にこの国の人々の興味が吸い寄せられるのは、ある意味必然なのかもしれない。「日常」があればこその「非日常」なのだが……。

<この原稿は07年12月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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