日本人選手がMLBの球団と目のくらむような高額契約を結んだからといって、もう誰も驚かない。ドジャース入団が決まった黒田博樹も、カブス入りが内定している福留孝介も、故障さえなければ、ほぼ報酬に見合うだけの成績を残すだろう。

 彼らには感謝すべき対象が2つある。ひとつは自らを育ててくれたアマも含めた日本球界、そしてもうひとつが日本人メジャーリーガーの事実上のパイオニアである野茂英雄だ。
 
 日本で4年連続最多勝に輝くなど、5年間で14ものタイトルを獲得しながら、海を渡った野茂がマイナーリーグからのスタートであったことはあまり知られていない。契約金は200万ドル(約2億円)、年俸はわずか10万ドル(約960万円)だった。

 日本No.1投手といっても、当時の評価はそんなものだった。その頃、ドジャースのGMを務めていたフレッド・クレアは野茂に対する評価を訊ねた私に「期待はしているが、(戦力として)計算はしていない。なぜなら彼はMLBで、まだ1球も投げていないからだ」と言った。もし野茂がメジャーで成功を収めていなかったら、日本人選手が今のように高く評価されることはなかっただろう。

 しかし、野茂の本当の偉大さはMLBで最初に成功を収めたことではない。MLB通算123勝もア・ナ両リーグでのノーヒッターも、もちろん誇るべき足跡ではあるが、記録はいずれ誰かに塗り替えられる。彼の真の偉大さは窮地に立たされていたMLBを救ったことである。

 周知のように野茂が海を渡った1995年のシーズン、MLBは前年からのストライキの余波で約1ヶ月遅れて開幕した。野球に愛想を尽かせていたファンがトルネード見たさに再び球場に足を運び始めた。「MLBはキミに救われた。ありがとう」。ディビジョン・シリーズに敗れ、シーズンを終えた野茂にそう言って握手を求めたのはレッズ(当時)の主砲ロン・ガントだった。

 08年のシーズンは薬物スキャンダルもあり、“嵐の予感”が漂う。ファンの冷たい視線を浴びての開幕は95年以来となる。黒田や福留には成績以外のミッションも求められる。<日本のクリーンエネルギーがMLBを浄化した>。来年の今頃は現地で、そんな記事を読みたい。

<この原稿は07年12月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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