交渉人の条件は�誠意をきちんと言葉にできること�約束を実行できる能力があること�精神的、肉体的にタフであること――そう語ったのはニクソン政権を支えた元大統領特別補佐官のヘンリー・キッシンジャーだったと記憶している。

 サッカー日本代表監督イビチャ・オシムが急性脳梗塞で倒れたのが先月16日未明。常務理事会で岡田武史の新監督就任を決定したのが今月3日。この間、2週間半。早すぎず遅すぎずの絶妙のタイミングだった。

 後任人事のキーパーソンは小野剛技術委員長だった。4人からなる小委員会で候補者をリストアップし、早い段階で岡田に一本化した。11月20日、都内某所で岡田に協会側の意向を伝えた。その時は現状報告に終始した。25日、都内某所で2度目の会談を行った。小野に言わせれば「この日が勝負だった」。オシムが倒れたからといって、ここまで築いてきた土台を無にするわけにはいかない。先人たちが流してきた汗があったからこそ、日本のサッカーはここまで来られた。危機に際し、この国のサッカーを救えるのはあなたしかいない――。冷静に話していたはずなのに、いつの間にか口調は熱を帯びていた。「どうすれば、岡田さんの心の琴線に触れることができるか。そのことで必死でした。受けてもらえると確信したのは説明が終わって目を見た時ですね。もうそれ以上の言葉は不要でした」

 10年前、2人の立場は逆だった。加茂周代表監督の解任を受けてコーチから監督に昇格した岡田はウズベキスタンから帰国したその日、当時、代表のスカウティング担当をしていた小野に連絡を入れた。「コーチとして手伝ってくれないか」。二つ返事で承諾した小野を岡田は叱り飛ばした。「オマエ、今の日本代表がどんな状況かわかっているのか。次の1試合か2試合でオマエのサッカー人生は決まってしまうんだ。もちろんオレだってそうだ。それを覚悟でイエスといったのか。オレはそれを知りたいんだ」

 ジョホールバルで抱き合ってから丸10年がたつ。小野は岡田のことを「信念の人」と呼ぶ。余計な臆測を呼ぶ前に「信念の人」を口説き落としたのだから、交渉人としての小野の仕事ぶりは評価に値する。ただ大変なのはこれからである。

<この原稿は07年12月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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